今の双葉町
福島県の浜通り中部にあり、東は太平洋に開けた町です。北は浪江町、南は大熊町と接し、前田川が流れます。清戸迫横穴や前田の大スギなど、古い遺跡や文化財があります。2011年の東日本大震災と原子力発電所の事故で町の全域に避難指示が出され、2022年から一部の地域で居住が再開されています。
今の双葉町の区域の人口は、2020年の国勢調査で0人です。今の区域で数えた1980年の8,017人とくらべると100.0%減り、人口は1985年をピークに減っています。
主な産業:震災後、産業交流センターなどを拠点に産業の再整備が進められています。
特産品・名産
- 双葉ダルマ長塚のダルマ市にちなむ町の縁起物
見どころ・祭り
- 清戸迫横穴国の史跡
- 前田の大スギ県指定の天然記念物
- 新山城跡町指定の史跡
- 東日本大震災・原子力災害伝承館震災と原発事故を伝える施設
木せんだん花さくら鳥きじ双葉町の木・花・鳥
双葉町のなりたち
双葉町(ふたばまち)は、福島県相双地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。長塚村・新山町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の双葉町になりました。
今の名前「双葉町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の新山町が約34km²だったのに対し、今の双葉町は約52km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は双葉郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧長塚村の区域には長塚駅(常磐線)があります。
「双葉町」という名前
双葉町の名は、双葉郡のもとになった標葉郡と楢葉郡の二つの郡にちなんだものです。標葉郡は夜ノ森より北の相馬氏の領地、楢葉郡は南の岩城氏の領地でした。町は1951年(昭和26年)に新山町と長塚村が合併して標葉町となり、1956年(昭和31年)4月1日に双葉町と改称しました。位置は、もとの標葉郡の区域にあります。
まちの成り立ち
福島県の浜通り中部にあり、双葉郡に属する町です。東は太平洋に開け、町の北は浪江町、南は大熊町と接しています。古い時代から、清戸迫横穴などの遺跡が残る土地です。1331年(元弘元年)に標葉隆連が新山城を築いたと伝わり、城下町が開かれました。長塚では、1700年頃にダルマ市が始まったと伝わります。1889年(明治22年)の町村制で、標葉郡に新山村と長塚村が発足し、1896年(明治29年)からは双葉郡に属しました。新山村は1913年(大正2年)に町制を施行しています。1951年(昭和26年)4月1日に、新山町と長塚村が合併して標葉町となりました。1956年(昭和31年)4月1日には、標葉町が双葉町と改称しています。1958年と1960年には、浪江町の請戸地区の一部が双葉町に移りました。1971年(昭和46年)に福島第一原子力発電所が運転を始めました。2011年(平成23年)3月の東日本大震災と原子力発電所の事故で、町の全域に避難指示が出されました。2022年(令和4年)8月30日には、特定復興再生拠点区域の避難指示が解除され、住民の帰還が始まっています。町には、東日本大震災・原子力災害伝承館があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、標葉郡に新山村と長塚村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年標葉郡と楢葉郡の区域で双葉郡が発足し、新山村と長塚村は双葉郡に属することになった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1913年1月25日大正2年新山村が町制を施行し、新山町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年新山町と長塚村が合併し、標葉町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年4月1日昭和31年標葉町が改称し、双葉町となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1958年4月1日昭和33年浪江町の一部(請戸地区のうち旧中野村の全域と旧両竹村の一部)が双葉町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年浪江町の一部(請戸地区のうち旧中浜村の一部と旧両竹村の一部)が双葉町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。