今の大熊町
福島県の浜通りにある町で、阿武隈山系の東に開け、東は太平洋に面します。熊川が町の中を流れ、梨やキウイフルーツが特産でした。2011年の東日本大震災と原子力発電所の事故で、町の全域に避難指示が出されました。2019年から段階的に避難指示が解除され、大川原に町役場が置かれています。北の双葉町にまたがって福島第一原子力発電所があります。
今の大熊町の区域の人口は、2020年の国勢調査で847人です。今の区域で数えた1980年の9,296人とくらべると90.9%減り、人口は2010年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は10.3%です。
主な産業:梨やキウイフルーツの栽培が行われてきました。
特産品・名産
- 梨町の特産品に挙げられている果物
- キウイフルーツ町の特産品に挙げられている
- 翠のしずくキウイフルーツのワイン
見どころ・祭り
- 熊川海水浴場町内の海水浴場
- 馬の背岬町内の海岸の岬
- 熊川稚児鹿舞毎年8月の伝統行事。震災後も避難先で再開
木樅(もみ)花梨(ナシ)鳥鳶(トビ)大熊町の木・花・鳥
大熊町のなりたち
大熊町(おおくままち)は、福島県相双地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。熊町村・大野村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大熊町になりました。
今の名前「大熊町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大野村が約52km²だったのに対し、今の大熊町は約80km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は双葉郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧大野村の区域には大野駅(常磐線)があります。
「大熊町」という名前
大熊町の名は、合併した二つの村の名を組み合わせた合成地名とされています。大野村の「大」と熊町村の「熊」を合わせた形です。1954年(昭和29年)11月1日に、双葉郡の大野村と熊町村が合併して、大熊町が発足しました。この地は古代に「苦麻(くま)の村」と呼ばれ、のちに町を流れる川の名から熊川と呼ばれるようになりました。
まちの成り立ち
福島県の浜通りにあり、双葉郡に属する町です。阿武隈山系の東に開けた土地で、東は太平洋に面しています。古代には「苦麻の村」と呼ばれ、のちに町内を流れる川の名から熊川と呼ばれました。戦国時代の後半からは相馬氏の領地の南の端になり、江戸時代には相馬中村藩と磐城平藩の境にあたりました。1889年(明治22年)の町村制で、標葉郡に大野村と熊町村が発足し、1896年(明治29年)からは双葉郡に属しました。1954年(昭和29年)11月1日にこの二つの村が合併して、大熊町が発足しています。1971年(昭和46年)には、東京電力福島第一原子力発電所が運転を始めました。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では町内で震度6強を観測し、続く原子力発電所の事故で町の全域に避難指示が出されました。2019年(平成31年)4月10日に大川原などの避難指示が解除され、2022年(令和4年)6月30日には特定復興再生拠点区域の避難指示も解除されました。町役場は大川原に置かれています。2026年(令和8年)6月22日からは、特定帰還居住区域の一部で立入規制の緩和と準備宿泊が行われています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、標葉郡に熊町村と大野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年標葉郡と楢葉郡の区域で双葉郡が発足し、熊町村と大野村は双葉郡に属することになった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年11月1日昭和29年大野村と熊町村が合併し、大熊町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。