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荒川区あらかわく

1920年には4の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の荒川区になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の荒川区

東京23区の北東部にあり、北東側を隅田川が流れ、南西側には台地がある区です。南千住、日暮里、三河島、尾久などの地区に住宅地と商業地が広がります。日暮里繊維街には生地などを扱う店が集まり、職人の仕事や町工場も続いています。荒川ふるさと文化館やゆいの森あらかわなど文化の拠点があり、水辺の新しい街と古くからの生活のまちが接しています。

今の荒川区の区域の人口は、2020年の国勢調査で217,475人です。今の区域で数えた1980年の198,126人とくらべると9.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.3%です。

217,475人人口(2020年)
+9.8%1980年からの増減
10.16km²面積(国土地理院)
21,405人/km²人口密度
23.3%65歳以上の割合
217,4751980199020052020
15歳未満 11.3%15〜64歳 65.3%65歳以上 23.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:繊維関連の卸売・小売業、町工場、職人の仕事や地域の商業が続いています。

特産品・名産

  • 江戸木目込人形胴体の溝に衣裳の布を木目込む人形
  • 東京銀器鍛金や彫金の技を使う銀製品
  • 江戸指物木目を生かし金釘を使わず組む木工品

見どころ・祭り

  • 日暮里繊維街繊維関連の卸売・小売店が集まる街
  • 荒川ふるさと文化館地域の歴史と文化を伝える施設
  • ゆいの森あらかわ図書館などを備える文化拠点

木サクラ花ツツジ荒川区の木・花

荒川区のなりたち

荒川区(あらかわく)は、東京都区部の区です。今の区の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。尾久村・三河島村・南千住町・日暮里町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の荒川区になりました。

今の名前「荒川区」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の尾久村が約3km²だったのに対し、今の荒川区は約10km²と、およそ3.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北豊島郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧三河島村の区域には三河島駅(常磐線)があります。旧南千住町の区域には南千住駅(常磐線)があります。旧日暮里町の区域には日暮里駅(常磐線)があります。

41920年の町村の数
1回合併・編入の回数
10km²今の面積
1932年いちばん新しい合併

「荒川区」という名前

荒川区は、1932年の東京市の市域拡大で南千住町、日暮里町、三河島町、尾久町の区域に置かれた区です。区名は、この地域の水辺と関わりの深い荒川にちなみます。当時の荒川の流路は、現在の隅田川につながります。旧4町の名前は、現在も地区名や町名、駅名として残り、川に由来する区名とともに使われています。

まちの成り立ち

江戸時代には日光道中の宿場の地域や近郊農村があり、三河島菜、汐入大根、谷中生姜などを作っていました。日暮里はひぐらしの里として知られ、千住大橋周辺にも人が行き交いました。1889年の町村制施行で、北豊島郡に南千住町、日暮里村、三河島村、尾久村が発足しました。明治以降は大工場が置かれ、工業のまちとして発展しました。

日暮里村は1913年、三河島村は1920年、尾久村は1923年に町となりました。鉄道の開通や工場の立地に伴って人口が増え、市街地が広がりました。1932年10月1日、東京市の市域拡大で南千住町、日暮里町、三河島町、尾久町が市に編入され、荒川区が置かれました。4町の区域をまとめて東京市の新しい区とした再編でした。1943年7月1日の都制施行で東京府と東京市が廃止され、荒川区は東京都の区となりました。1947年5月3日の地方自治法施行で荒川区は特別区となりました。

戦災後の復興を経て、住宅地と商工業のまちが再び育ちました。日暮里には生地などを扱う繊維街が集まり、町工場や職人の仕事も受け継がれています。荒川ふるさと文化館は地域の歴史を伝え、ゆいの森あらかわには図書館などが集まります。川沿いの再開発された地域と、古くからの商店街や住宅地が並んでいます。

年表

  1. 1889年5月1日明治22年町村制施行で北豊島郡南千住町・日暮里村・三河島村・尾久村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1913年7月11日大正2年日暮里村が町制を施行し、日暮里町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1920年2月11日大正9年三河島村が町制を施行し、三河島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1923年4月1日大正12年尾久村が町制を施行し、尾久町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1932年10月1日昭和7年南千住町・日暮里町・三河島町・尾久町が東京市に編入され、荒川区が発足した。種類:編入 出典:Wikipedia
  6. 1943年7月1日昭和18年東京都制の施行で東京府と東京市が廃止され、荒川区は東京都の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
  7. 1947年5月3日昭和22年地方自治法が施行され、荒川区が特別区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

荒川区1920〜今
尾久村1889〜1932
三河島村1889〜1932同じ名前の駅:三河島駅
南千住町1889〜1932同じ名前の駅:南千住駅
日暮里町1913〜1932同じ名前の駅:日暮里駅

参考にした資料