今の文京区
東京の都心北部にあり、台地と谷が入り組む区です。本郷や小石川、駒込などを結ぶ道には坂が多く、住宅地の中に寺社や庭園が点在します。大学や学校、医療機関が集まり、出版や印刷の仕事とも関わりの深いまちです。小石川後楽園や六義園には江戸時代の庭園の姿が残ります。文学者の暮らした場所や湯島天満宮などもあり、教育と文化の積み重ねが街並みに息づいています。
今の文京区の区域の人口は、2020年の国勢調査で240,069人です。今の区域で数えた1980年の202,351人とくらべると18.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は18.9%です。
主な産業:教育・医療機関が集まり、出版・印刷業や医療機器関連産業が盛んです。
特産品・名産
- レイズンウィッチ御茶ノ水小川軒の推奨観光土産品
- 大学最中本郷三原堂の推奨観光土産品
- 本郷焼本郷三原堂の推奨観光土産品
見どころ・祭り
- 小石川後楽園江戸の大名屋敷庭園の面影が残る庭園
- 六義園江戸の大名屋敷庭園の面影が残る庭園
- 森鷗外記念館鷗外の旧居・観潮楼跡地の記念館
木イチョウ花ツツジ文京区の木・花
文京区のなりたち
文京区(ぶんきょうく)は、東京都区部の区です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では東京市でした。
「文京区」という名前
文京という区名には、学問や教育の中心である「文教の府」の意味が込められています。1947年に小石川区と本郷区を統合する際、一般公募の候補だけでは新区名が決まりませんでした。小石川区の職員からの募集と、本郷区の統合交渉委員会の双方で「文京」の案が出ました。書きやすく、両区の性格を表す名称として統合交渉委員会で支持され、旧両区の区議会が正式に決定しました。
まちの成り立ち
小石川と本郷の地域には、江戸時代から寺社や武家屋敷、町人のまちが広がりました。明治時代には大学や学校が集まり、出版や印刷に関わる仕事も発展しました。1878年に東京府の小石川区と本郷区が置かれ、1889年に東京市が発足すると両区は東京市の区となりました。夏目漱石や森鷗外など多くの文学者もこの地域に暮らし、作品とゆかりの深い場所を残しました。
1943年の都制施行により東京府と東京市が廃止され、両区は東京都の区に変わりました。戦後の東京の区の再編では、小石川区と本郷区が統合されることになりました。新区名には春日、湯島、音羽、白山、駒込なども考えられましたが、両区の教育・学問のまちとしての性格を表す文京が選ばれました。1947年3月15日に文京区が発足し、同年5月3日の地方自治法施行で特別区となりました。
統合後も小石川、本郷、湯島、音羽などの地名が残り、地区ごとの歴史が続いています。東京大学などの教育機関、出版社や印刷業、医療機関が集まる一方、住宅地の中には寺社や庭園が点在します。台地と谷を結ぶ坂道も、文京のまちの特徴になっています。
年表
- 1889年5月1日明治22年東京市が発足し、小石川区・本郷区は東京市の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1943年7月1日昭和18年東京都制の施行で東京府と東京市が廃止され、小石川区・本郷区は東京都の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1947年3月15日昭和22年小石川区・本郷区が統合され、文京区が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1947年5月3日昭和22年地方自治法が施行され、文京区が特別区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.bunkyo.lg.jp/b005/p005242.html
- www.tokyo-23city.or.jp/kikaku/tokubetsuku/documents/05_bunkyo.pdf
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/tokubetsuku/whats.html
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/chosa/kondankai/documents/bessi6tokuenkaku.pdf
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/chosa/kondankai/documents/bessi7enkaku.pdf