今の台東区
東京の都心北東部にあり、西側の上野・谷中の高台から東側の浅草や隅田川沿いの低地へと広がる区です。上野には公園と博物館、美術館が集まり、浅草には浅草寺と商店街、演芸の施設が並びます。谷中には寺院や昔ながらの路地が残り、浅草橋などでは問屋やものづくりの仕事が続いています。文化施設を訪れる人と、江戸以来の寺社や商いのまちを歩く人が行き交う地域です。
今の台東区の区域の人口は、2020年の国勢調査で211,444人です。今の区域で数えた1980年の186,048人とくらべると13.7%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.7%です。
主な産業:卸売・小売業や観光が盛んで、皮革製品や伝統工芸の仕事も集まります。
特産品・名産
- 江戸指物釘を使わず木材を組み合わせる工芸
- 江戸切子台東区に工房があるカットガラス
- 江戸手描提灯竹と紙の提灯に文字や絵を描く工芸
見どころ・祭り
- 浅草寺浅草の門前町の中心となる寺院
- 上野恩賜公園博物館や美術館が集まる公園
- 谷中の寺町寺院と路地が連なる地区
木サクラ花アサガオ台東区の木・花
台東区のなりたち
台東区(たいとうく)は、東京都区部の区です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では東京市でした。
「台東区」という名前
台東の名には、地形と文字の意味の両方が込められています。「台」は上野の高台を、「東」はその東に位置する浅草を表します。また「台」は気品やめでたさを感じさせる字で、「東」は日の出の若さや力強さを表す字とされます。1947年に下谷区と浅草区が統合したとき、この新しい区名が採用されました。上野と浅草の異なるまちを、一つの名で表しています。
まちの成り立ち
上野の高台と浅草の低地には、寺社の門前町や商いのまちが育ちました。上野には寛永寺、浅草には浅草寺があり、江戸の人々が集まる地域でした。1878年に東京府の下谷区と浅草区が置かれ、1889年に東京市が発足すると両区は東京市の区となりました。上野には公園や博物館などが整えられ、浅草には演芸や娯楽に関わる施設が集まりました。職人の仕事や商店も、まちの暮らしを支えてきました。
関東大震災と戦災により大きな被害を受けた後、区の人口や財政の偏りを立て直すため、東京の35区が再編されました。1943年の都制施行で東京都の区となっていた下谷区と浅草区は、1947年3月15日に統合されて台東区となりました。同年5月3日の地方自治法施行で特別区となりました。上野の高台と、その東の浅草を表す台東という名が、旧両区にまたがる新区名になりました。
下谷と浅草の名は、現在も町名や地区名として残っています。上野の文化施設、浅草の寺社や演芸、谷中の寺町などは、地域ごとに異なるまちの顔を持っています。江戸指物、江戸切子、江戸手描提灯などの工房もあり、職人の技が受け継がれています。
年表
- 1889年5月1日明治22年東京市が発足し、下谷区・浅草区は東京市の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1943年7月1日昭和18年東京都制の施行で東京府と東京市が廃止され、下谷区・浅草区は東京都の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1947年3月15日昭和22年下谷区・浅草区が統合され、台東区が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1947年5月3日昭和22年地方自治法が施行され、台東区が特別区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.taito.lg.jp/kusei/shokai/abouttaito/profile/kunomeisyou.html
- www.tokyo-23city.or.jp/kikaku/tokubetsuku/documents/06_taito.pdf
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/tokubetsuku/whats.html
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/chosa/kondankai/documents/bessi6tokuenkaku.pdf
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/chosa/kondankai/documents/bessi7enkaku.pdf