今の中央区
東京の都心の東側にあり、隅田川と東京湾に接する区です。日本橋や銀座には金融機関、百貨店、専門店が集まり、江戸以来の商業地の性格を受け継いでいます。築地には食に関わる店が並び、佃や月島では水辺に商店街と住宅街が広がります。晴海などの埋立地にも住宅地が整備されています。日本橋川や隅田川に架かる橋、河岸の跡、歴史ある商店と新しい街並みが同居するまちです。
今の中央区の区域の人口は、2020年の国勢調査で169,179人です。今の区域で数えた1980年の82,700人とくらべると104.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は14.6%です。
主な産業:金融業、卸売・小売業、飲食業が集まり、観光も盛んです。
特産品・名産
- うなぎの佃煮佃の天安本店の中央区推奨土産品
- 人形焼七福神人形町・板倉屋の中央区推奨土産品
- 東京べったら漬東京にいたか屋の中央区推奨土産品
見どころ・祭り
- 日本橋江戸五街道の起点となった橋
- 銀座百貨店やブランド店が集まる商業地
- 佃・月島水辺に下町と高層住宅が並ぶ地区
木ヤナギ花ツツジ(サツキを含む)中央区の木・花
中央区のなりたち
中央区(ちゅうおうく)は、東京都区部の区です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では東京市でした。
「中央区」という名前
中央区は、1947年に日本橋区と京橋区が統合した際に選ばれた区名です。日本橋や銀座を含む地域は、江戸時代から商業の中心として発展してきました。旧両区の名前を組み合わせる形ではなく、新しい区全体を表す名称として「中央」が採用されました。日本橋と京橋の名は、統合後も地域名や町名、駅名に残っています。区名の決定時に比較された候補や、選定理由の細部ははっきりしていません。
まちの成り立ち
日本橋と京橋の一帯は、江戸幕府による埋立てと城下町の整備で商業地になりました。日本橋は五街道の起点となり、川や運河に設けられた河岸には問屋が集まりました。1878年に東京府の日本橋区と京橋区が発足しました。1889年の東京市成立後は、両区とも東京市の区となりました。明治以降、日本橋では銀行や株式取引所が発展し、銀座には商店や新聞社が集まりました。
海側では、埋立てによって月島などの土地が広がりました。関東大震災と戦災は市街地に大きな被害をもたらしました。1943年の都制施行により東京市が廃止され、日本橋区と京橋区は東京都の区となりました。1947年3月15日に両区を統合して中央区が発足し、5月3日の地方自治法施行で特別区となりました。
戦後も日本橋、銀座、築地、月島は異なるまちの姿を育ててきました。日本橋には金融と老舗商業、銀座には百貨店や専門店が集まります。佃や月島には水辺の暮らしを受け継ぐ町並みがあり、近年は臨海部に住宅地が広がっています。旧区を分けていた京橋川は埋め立てられましたが、日本橋と京橋の名は今も残っています。
年表
- 1889年5月1日明治22年東京市が発足し、日本橋区・京橋区は東京市の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1943年7月1日昭和18年東京都制の施行で東京府と東京市が廃止され、日本橋区・京橋区は東京都の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1947年3月15日昭和22年日本橋区・京橋区が統合され、中央区が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-23city.or.jp
- 1947年5月3日昭和22年地方自治法が施行され、中央区が特別区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.chuo.lg.jp/miryoku/history/index.html
- www.tokyo-23city.or.jp/kikaku/tokubetsuku/documents/02_chuo.pdf
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/tokubetsuku/whats.html
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/chosa/kondankai/documents/bessi6tokuenkaku.pdf
- www.tokyo-23city.or.jp/chosa/chosa/kondankai/documents/bessi7enkaku.pdf