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墨田区すみだく

1920年には3の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の墨田区になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の墨田区

東京の都心東部にあり、隅田川や荒川、旧中川などの水辺に囲まれた区です。両国には大相撲に関わる施設が集まり、向島には桜の堤や江戸以来の行楽地の名残があります。町工場や伝統工芸の工房が続く一方、押上では東京スカイツリーを中心とする商業地が広がります。葛飾北斎ゆかりの文化と、川に沿った景観、ものづくりが身近にあるまちです。

今の墨田区の区域の人口は、2020年の国勢調査で272,085人です。今の区域で数えた1980年の232,796人とくらべると16.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.1%です。

272,085人人口(2020年)
+16.9%1980年からの増減
13.77km²面積(国土地理院)
19,759人/km²人口密度
22.1%65歳以上の割合
272,0851980199020052020
15歳未満 10.3%15〜64歳 67.6%65歳以上 22.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:中小製造業や伝統工芸が集まり、商業・観光も盛んです。

特産品・名産

  • 江戸切子区内の工房で作られるカットガラス
  • 江戸木目込人形向島の工房で受け継がれる人形づくり
  • 桐たんす区内の工房で作られる伝統的な桐家具

見どころ・祭り

  • 東京スカイツリー押上に立つ高さ634メートルの電波塔
  • すみだ北斎美術館葛飾北斎とすみだの関わりを伝える美術館
  • 墨堤の桜隅田川沿いに続く江戸以来の桜の名所

木サクラ花ツツジ墨田区の木・花

墨田区のなりたち

墨田区(すみだく)は、東京都区部の区です。今の区の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。寺島村・隅田村・吾嬬町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の墨田区になりました。

今の名前「墨田区」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の寺島村が約3km²だったのに対し、今の墨田区は約14km²と、およそ4.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は南葛飾郡に属していました。

31920年の町村の数
3回合併・編入の回数
14km²今の面積
1947年いちばん新しい合併

「墨田区」という名前

墨田の名は、隅田川の堤の通称「墨堤」の「墨」と、「隅田川」の「田」を合わせたものです。1947年に本所区と向島区を統合した際、新しい区名として採用されました。川の名の「隅」をそのまま使わず、昔から親しまれてきた堤の呼び方を取り入れています。区名の墨田と川の名の隅田川は、字が異なります。旧両区に共通する身近な水辺が、新しい区の名前に表れています。

まちの成り立ち

隅田川の東側では、江戸時代に土地の開発が進み、本所の市街地と向島の農村や行楽地が育ちました。1878年に本所区が置かれ、1889年には東京市の区となりました。同じ年、北側の南葛飾郡では寺島村、隅田村、吾嬬村などが町村制の自治体として発足しました。水運に恵まれた地域では、明治以降に工場や職人の仕事が集まりました。

荒川放水路の建設は、周辺の町村の区域を変えました。1932年10月1日に東京市の市域が拡大され、南葛飾郡の寺島町、隅田町、吾嬬町が市に編入されて向島区が置かれました。本所区と向島区は、1943年の都制施行まで東京市を構成する区でした。1943年7月1日の都制施行で東京府と東京市が廃止され、本所区・向島区は東京都の区となりました。1947年3月15日に両区が統合して墨田区が発足しました。同年5月3日の地方自治法施行で墨田区は特別区となりました。

両国の大相撲、墨堤の桜、隅田川の花火など、江戸以来の文化が受け継がれています。すみだ北斎美術館は、この地域に生まれた葛飾北斎と作品を伝えます。東京スカイツリーの周囲には新しい商業地が育つ一方、街中には町工場や伝統工芸の工房が点在し、ものづくりのまちの性格が続いています。

年表

  1. 1889年5月1日明治22年東京市が発足し、本所区が東京市の区となった。南葛飾郡には寺島村・隅田村・吾嬬村・大木村が発足した。種類:その他 出典:Wikipedia
  2. 1912年9月1日大正元年吾嬬村が町制を施行し、吾嬬町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1914年4月1日大正3年荒川放水路建設に伴い大木村が廃止され、放水路以南が吾嬬町、以北が本田村に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  4. 1923年4月1日大正12年寺島村が町制を施行し、寺島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1923年8月15日大正12年隅田村が町制を施行し、隅田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  6. 1932年10月1日昭和7年寺島町・隅田町・吾嬬町が東京市へ編入され、向島区が発足した。種類:編入 出典:Wikipedia
  7. 1943年7月1日昭和18年東京都制の施行で東京府と東京市が廃止され、本所区・向島区は東京都の区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp
  8. 1947年3月15日昭和22年本所区・向島区が統合され、墨田区が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-23city.or.jp
  9. 1947年5月3日昭和22年地方自治法が施行され、墨田区が特別区となった。種類:その他 出典:www.tokyo-23city.or.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

墨田区1923〜今
寺島村1889〜1932
隅田村1889〜1932
吾嬬町1912〜1932

参考にした資料