今の大町市
長野県の北西部、北アルプスのふもとにある市です。西に3,000メートル級の山々が連なり、北には青木湖・中綱湖・木崎湖の仁科三湖が並びます。市の面積の多くは森林です。豊かな水を生かした水力発電などの工業が早くから発達しました。立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口で、国宝の仁科神明宮もあります。
今の大町市の区域の人口は、2020年の国勢調査で26,029人です。今の区域で数えた1980年の36,083人とくらべると27.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.8%です。
主な産業:水を生かした工業と、北アルプスや黒部ダムへの観光
特産品・名産
- 松崎和紙市内で作られてきた和紙
- 地蜂せんべい地元のハチを使ったせんべい
- 黒部ダムカレー黒部ダムの形のご当地カレー
見どころ・祭り
- 立山黒部アルペンルート扇沢から富山へ山を越える道
- 仁科三湖青木湖・中綱湖・木崎湖
- 仁科神明宮本殿などが国宝の神社
- 高瀬ダム北アルプスの山中のダム
- 八坂の大滝八坂地区の滝
大町市のなりたち
大町市(おおまちし)は、長野県中信地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。平村・大町・常盤村・社村・広津村・美麻村・八坂村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の大町市になりました。
今の名前「大町市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の平村が約376km²だったのに対し、今の大町市は約568km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北安曇郡に属していました。
「大町市」という名前
大町市の名前は、中心となった大町の名をそのまま受け継いでいます。大町は江戸時代に千国街道(塩の道)の宿場町として整えられ、1889年(明治22年)の町村制のときから「大町」という町でした。1954年(昭和29年)に4町村が合併して市になったときも、この名前が市の名前になりました。「大町」という地名の由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
大町のあたりは、平安時代から豪族の仁科氏が治めた土地で、伊勢神宮の領地の仁科御厨が置かれていました。江戸時代には松本と日本海側を結ぶ千国街道の宿場町として整えられ、塩や海産物を運ぶ中継地として栄えました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の市域には大町・社村・常盤村・平村・八坂村・美麻村などが生まれました。1954年(昭和29年)7月1日、大町・平村・常盤村・社村が合併して大町市が発足しました。犀川沿いの八坂村は、1957年(昭和32年)に分かれた広津村の北山の一部を加え、1959年(昭和34年)には左右の地区が信州新町に移っています。
2006年(平成18年)1月1日、大町市は八坂村と美麻村を編入し、今の大町市になりました。このとき行われた住民へのアンケートでも、新しい市の名前は「大町」が最も多く選ばれています。
市は北アルプスのふもとにあり、西には3,000メートル級の山々が連なります。北には青木湖・中綱湖・木崎湖の仁科三湖が並び、豊かな水を生かした水力発電などの工業が早くから発達しました。立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口でもあり、国宝の本殿を持つ仁科神明宮があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北安曇郡に大町・社村・常盤村・平村・八坂村・美麻村・広津村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年7月1日昭和29年大町・平村・常盤村・社村が合併し、大町市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年3月31日昭和32年広津村が分割され、北山の一部が八坂村に、残りが池田町と生坂村に分かれて加わった。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1959年4月1日昭和34年八坂村の一部(左右)が上水内郡信州新町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2006年1月1日平成18年八坂村と美麻村が大町市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。