今の白馬村
長野県の北西部、北安曇郡にある村です。西に後立山連峰の山々、東に小谷山地が連なり、その間の白馬盆地を姫川が南北に流れます。冬はスキー、夏は登山の客が国の内外から訪れ、八方尾根スキー場は長野オリンピックの会場になりました。千国街道(塩の道)が通り、白馬大雪渓や姫川源流などの自然もあります。
今の白馬村の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,575人です。今の区域で数えた1980年の7,131人とくらべると20.2%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.9%です。
主な産業:スキー場や登山などの観光と、米・そばなどの農業
特産品・名産
- おやき野沢菜などを包んだ郷土食
- おひょっくり団子の入った郷土の汁物
見どころ・祭り
- 白馬大雪渓白馬岳の雪渓
- 八方尾根スキー場長野オリンピックの会場
- 姫川源流名水百選の湧水
- 青鬼集落棚田と古い民家の集落
- 塩の道(千国街道)越後と信濃を結んだ街道
白馬村のなりたち
白馬村(はくばむら)は、長野県中信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。北城村・神城村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の白馬村になりました。
今の名前「白馬村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の北城村が約122km²だったのに対し、今の白馬村は約184km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北安曇郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧神城村の区域には神城駅(大糸線)があります。
「白馬村」という名前
白馬村の名前は、村の西にそびえる白馬岳(しろうまだけ)に由来します。白馬岳の名は、春に山肌に現れる馬の形の雪形を、田植え前の代かきの合図とした「代馬(しろうま)」から来たとされます。1956年(昭和31年)に北城村と神城村が合併したとき、この山の名が新しい村の名前になりました。
まちの成り立ち
この一帯は鎌倉時代には六条院の荘園である千国荘に含まれ、江戸時代には松本藩の領地で四ヶ庄と呼ばれました。越後と信濃を結ぶ千国街道(塩の道)が通り、牛や人の背で塩や海産物が運ばれました。
1875年(明治8年)に小さな村々がまとまって神城村と北城村が生まれ、1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行でも、両村はそれぞれそのまま村となりました。今の村の中心地は、明治のはじめまでは田畑や林が広がる土地でしたが、糸魚川街道が通ると、街道沿いに宿場町をつくろうと人が集まり、家が建ち並ぶようになりました。
1956年(昭和31年)9月30日、北城村と神城村が合併して白馬村が発足しました。それ以来、村の区域は変わっていません。1998年(平成10年)の長野オリンピックでは、八方尾根などでスキー競技が行われました。2014年(平成26年)11月の長野県神城断層地震では、村内でも大きな被害が出ました。
村の西には後立山連峰、東には小谷山地が連なり、その間の白馬盆地を姫川が南北に流れています。冬はスキー、夏は登山の客が国の内外から訪れます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北安曇郡に神城村・北城村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年北城村と神城村が合併し、白馬村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。