今の麻績村
長野県のほぼ中央、筑摩山地の北寄りにある高原の村です。北の聖高原、南の四阿屋山、東の一本松峠はいずれも標高1,000mを超えます。村の中を麻績川が流れ、川沿いに集落が並びます。江戸時代には麻績宿が置かれた宿場町でした。聖山のふもとには聖湖や聖高原スキー場があり、高原の自然を生かした観光が行われています。
今の麻績村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,593人です。今の区域で数えた1980年の4,016人とくらべると35.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.9%です。
主な産業:りんご・米などの農業と、聖高原を中心とする観光
特産品・名産
- りんご村の観光サイトが名産に挙げる
- 麻績のおやき手作りのおやき
- はぜかけ米はぜかけで天日干しした米
見どころ・祭り
- 聖高原村の北部に広がる高原
- 聖湖聖山のふもとの湖
- 福満寺重要文化財を持つ寺院
- 麻績城跡県指定史跡
- 麻績神明宮村内の神社
麻績村のなりたち
麻績村(おみむら)は、長野県中信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。日向村・麻績村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の麻績村になりました。
今の名前「麻績村」は、1920年にあった麻績村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は東筑摩郡に属していました。
「麻績村」という名前
村の名は、古くからこの地にあった「麻績」の地名によります。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、1186年(文治2年)の記事に伊勢神宮の領地として「麻績御厨」の名が見えます。明治の初めには、宿場町の麻績町村などがまとまって麻績村となりました。麻の糸を紡ぐことを「績む」といい、地名をそれと結びつける説がありますが、由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
明治の初め、1875年(明治8年)1月に麻績町村・矢倉村・野口村などが合わさって麻績村が、桑関村・高山村などが合わさって日向村が生まれました。1889年(明治22年)4月1日の町村制では、どちらもそのまま東筑摩郡の村となりました。
1956年(昭和31年)9月30日、麻績村と日向村が合併し、改めて麻績村が発足しました。平成の合併では、2002年(平成14年)に本城村・坂北村・坂井村と合併協議会をつくりましたが、2004年(平成16年)9月に協議会を離れ、村として続ける道を選びました。ほかの3村は2005年に合併して筑北村となっています。
村は筑摩山地の北寄りにある高原の村で、北の聖高原、南の四阿屋山、東の一本松峠はいずれも標高1,000mを超えます。村の中を麻績川が流れ、川沿いの平地に集落があります。江戸時代は北国脇往還の宿場町の麻績宿として栄えました。1963年(昭和38年)ごろから聖山一帯の観光開発が進み、聖高原スキー場などが開かれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東筑摩郡に麻績村と日向村がそれぞれ単独で発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年麻績村と日向村が合併し、改めて麻績村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。