今の筑北村
長野県の中部、東筑摩郡にある村です。江戸時代には善光寺街道(北国西街道)が通り、青柳宿などの宿場がありました。冠着山(姨捨山)や虚空蔵山に囲まれ、麻績川が流れます。米づくりのほか、白菜やいちご、えごまが作られています。旧坂井村の地区は、ほかの地区との間に麻績村をはさむ形になっています。
今の筑北村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,149人です。今の区域で数えた1980年の7,556人とくらべると45.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は46.5%です。
主な産業:米づくりと、白菜・いちご・えごまなどの農業
特産品・名産
- 白菜村の主な農産物
- いちご村の主な農産物
- えごま村の主な農産物
見どころ・祭り
- 差切峡麻績川の峡谷
- 西条温泉とくら村の温泉施設
- 青柳宿善光寺街道の宿場
- 冠着山姨捨山とも呼ばれる山
筑北村のなりたち
筑北村(ちくほくむら)は、長野県中信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。坂井村・坂北村・本城村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の筑北村になりました。
今の名前「筑北村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の坂井村が約38km²だったのに対し、今の筑北村は約100km²と、およそ2.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東筑摩郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧坂北村の区域には坂北駅(篠ノ井線)があります。
「筑北村」という名前
筑北村は、2005年(平成17年)10月11日に東筑摩郡の本城村・坂北村・坂井村が合併して生まれた村です。このあたりは東筑摩郡の北部にあたり、「筑北」と呼ばれてきました。合併した3か村の名前は使われず、地域の呼び名が新しい村の名前になりました。名前を選んだいきさつははっきりしていません。
まちの成り立ち
江戸時代、この地域には善光寺街道(北国西街道)が通り、青柳宿が置かれたほか、西条と乱橋には間の宿が置かれていました。明治のはじめには小さな村々がまとまって坂北村や坂井村ができ、1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、西条村・東条村・乱橋村・大沢新田村がまとまって本城村となり、坂北村と坂井村もそれぞれ村となりました。1952年(昭和27年)4月1日には、隣の中川村の河鹿沢が本城村に加わりました。
平成の大合併では、2002年(平成14年)に本城村・坂北村・坂井村・麻績村の4か村で合併の話し合いが始まりましたが、2004年(平成16年)に麻績村が協議から離れました。2005年(平成17年)10月11日、残る3か村が合併して筑北村が発足しました。麻績村が加わらなかったため、旧坂井村の地区は、ほかの地区との間に麻績村をはさむ形になっています。
村は冠着山(姨捨山)や虚空蔵山などの山に囲まれ、麻績川などが流れます。米づくりのほか、白菜やいちご、えごまなどが作られ、差切峡や西条温泉などの名所があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東筑摩郡に西条村・東条村・乱橋村・大沢新田村の区域で本城村が発足し、坂北村・坂井村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年中川村の一部(会吉新田のうち河鹿沢)が本城村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2005年10月11日平成17年本城村・坂北村・坂井村が合併し、筑北村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。