今の青木村
長野県のほぼ中央、小県郡にある農山村です。北・西・南の三方を山に囲まれ、東の上田盆地に向かってなだらかに下ります。夫神岳・子檀嶺岳・十観山は青木三山と呼ばれます。上田騒動などの一揆が起きた義民の里として知られ、国宝の大法寺三重塔や、田沢温泉・沓掛温泉があります。東急グループを興した五島慶太の出身地です。
今の青木村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,121人です。今の区域で数えた1980年の5,245人とくらべると21.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.4%です。
主な産業:米・そば・マツタケなどの農林業と温泉観光
特産品・名産
- タチアカネ村で地域限定で栽培されるそば
- マツタケ村の特産品
見どころ・祭り
- 大法寺三重塔国宝の三重塔
- 修那羅峠の石仏群860体の石仏が並ぶ
- 田沢温泉・沓掛温泉国民保養温泉地
- 五島慶太未来創造館村出身の五島慶太にちなむ施設
- 青木村歴史文化資料館義民資料展示室などがある
青木村のなりたち
青木村(あおきむら)は、長野県東信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。浦里村・青木村です。
今の名前「青木村」は、1920年にあった青木村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は小県郡に属していました。
「青木村」という名前
村の名は、東山道の道しるべだった「ねずみさし」(ネズ)の木に由来するとされます。青々と茂る名木で、木のあった田沢村の小字が「青木」と呼ばれるようになりました。1886年(明治19年)、この地に近くの4校をまとめた「青木学校」ができました。1889年(明治22年)に6つの村が合わさるとき、村名がなかなか決まらず、学校の名でもあり新しい村にふさわしいとして「青木村」が選ばれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、小県郡の奈良本村・沓掛村・夫神村・殿戸村・村松郷・田沢村がまとまり、青木村が生まれました。東隣には浦野村などがまとまった浦里村がありました。
昭和の大合併では、1957年(昭和32年)3月31日に浦里村が分けられ、当郷の地区が青木村に入りました。浦里村の残りは室賀村などと合わさって川西村となっています。同じ年の8月1日には、川西村の浦野の一部も青木村に移りました。平成の合併では、2002年(平成14年)10月25日に上田市などとの合併の話し合いに加わらず、合併しないことを宣言しました。
村は長野県のほぼ中央にあり、北・西・南の三方を山に囲まれ、東の上田盆地に向かってなだらかに下ります。古代には東山道が通り、浦野駅が置かれました。江戸時代から明治の初めにかけて、上田騒動など5回の一揆がこの地から起きたことから、義民の里と呼ばれます。国宝の大法寺三重塔があり、田沢温泉や沓掛温泉も知られます。東急グループを興した五島慶太の出身地でもあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、小県郡の奈良本村・沓掛村・夫神村・殿戸村・村松郷・田沢村の区域で青木村が発足した。あわせて浦野村・岡村などと当郷の区域で浦里村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1957年3月31日昭和32年浦里村の一部(当郷)が青木村に編入された。浦里村の残りは室賀村などと合併して川西村となった。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1957年8月1日昭和32年川西村の一部(浦野の一部)が青木村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。