今の生坂村
長野県の中ほど、東筑摩郡の北西部にある山あいの村です。重なり合う山々の間を、北アルプスに源をもつ犀川が流れ、川沿いの段丘に田畑と集落があります。農業と農産物加工業が中心で、とくにぶどう栽培が盛んです。村のぶどうは「イクサカラット」の名で売り出されています。犀川の渓谷の山清路などの景勝地があり、水力発電所もあります。
今の生坂村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,639人です。今の区域で数えた1980年の3,142人とくらべると47.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.5%です。
主な産業:ぶどうを中心とする農業と農産物加工、水力発電
特産品・名産
- ぶどう(イクサカラット)巨峰などの村のブランドぶどう
- 生坂煙草江戸時代に江戸でも知られたタバコ
見どころ・祭り
- 山清路犀川の渓谷
- 高津屋森林公園村内の森林公園
- 道の駅いくさかの郷村の道の駅
- 生坂村山清路の郷資料館村の資料館
木カシワ花ツツジ生坂村の木・花
生坂村のなりたち
生坂村(いくさかむら)は、長野県中信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。広津村・陸郷村・生坂村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の生坂村になりました。
今の名前「生坂村」は、1920年にあった生坂村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の生坂村が約26km²だったのに対し、今の生坂村は約39km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北安曇郡・東筑摩郡に属していました。
「生坂村」という名前
村の名は、明治の初めにできた生坂村から受けつがれています。1875年(明治8年)1月23日に、上生坂村・下生坂村・下生野村・小立野村の4村がまとまり、もとの村名にあった「生坂」を新しい村の名前としました。1957年(昭和32年)に隣の村の一部と合併したときも、この名前が使われ続けています。「生坂」という地名の起こりははっきりしていません。
まちの成り立ち
1875年(明治8年)に4つの村がまとまって生まれた生坂村は、1889年(明治22年)4月1日の町村制でもそのまま東筑摩郡の村となりました。隣の北安曇郡には、犀川沿いに陸郷村と広津村がありました。
1957年(昭和32年)3月31日、陸郷村と広津村はそれぞれいくつかに分けられました。生坂村は陸郷村の草尾などを編入したうえで、広津村の一部(東広津)と合併し、改めて東筑摩郡生坂村が発足しました。両村の残りは池田町や明科町などに入っています。
村は長野県の中ほど、東筑摩郡の北西部にある山あいの村で、北アルプスに源をもつ犀川が流れます。農業と農産物加工業が中心で、とくにぶどう栽培が盛んです。1986年(昭和61年)から巨峰の産地づくりを進め、今は村のぶどうを「イクサカラット」と名づけて売り出しています。江戸時代には「生坂煙草」が江戸でも知られました。慶長年間に村の照明寺の住職が種を持ち帰ったのが始まりとされ、明治以後は養蚕に押されて衰えました。犀川には水力発電所も設けられています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東筑摩郡の生坂村が単独で村となり、北安曇郡には陸郷村と広津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1957年3月31日昭和32年生坂村が北安曇郡陸郷村の一部(草尾など)を編入したうえで北安曇郡広津村の一部と合併し、改めて東筑摩郡生坂村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。