今の池田町
長野県の北西部、安曇野の北部にある町です。西に北アルプスを望み、高瀬川が松川村との境を流れます。西部は平らな田園、東部は山あいです。戦国時代から千国街道の宿場として栄え、大正の初めには製糸の町として知られました。今は県内有数の米どころで、花とハーブの生産や、電気・機械の工業が営まれています。
今の池田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,382人です。今の区域で数えた1980年の10,610人とくらべると11.6%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.6%です。
主な産業:米を中心とする農業と花・ハーブの生産、電気・機械の工業
特産品・名産
- 米県内有数の米どころ
- ハーブ花とともに生産が盛ん
- 相道寺焼1767年に始まったとされる焼物
見どころ・祭り
- 北アルプス展望美術館1994年に完成した町立美術館
- 大峰高原七色大カエデで知られる高原
- 陸郷桜仙峡山あいに桜が広がる名所
- あづみ野池田クラフトパーク1999年に完成した町の施設
- 池田八幡神社町内の神社
木赤松花ツツジ池田町の木・花
池田町のなりたち
池田町(いけだまち)は、長野県中信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。会染村・広津村・陸郷村・池田町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の池田町になりました。
今の名前「池田町」は、1920年にあった池田町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の池田町が約7km²だったのに対し、今の池田町は約40km²と、およそ5.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北安曇郡に属していました。
「池田町」という名前
町の名は、江戸時代からの池田町村の名を受けついでいます。池田は戦国時代に千国街道(糸魚川街道)の宿場の池田宿が置かれた地で、江戸時代は松本藩の池田組に属していました。1875年(明治8年)に池田町村などがまとまって改めて池田町村となり、1915年(大正4年)に町制を施行して池田町となりました。旧池田町のあたりは、古くは「有明の里」と呼ばれたと伝えられます。「池田」という地名の語源ははっきりしていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には北安曇郡の池田町村と会染村が、そのまま村として続きました。周りには陸郷村と広津村もありました。池田町村は養蚕と製糸の発達で人が増え、1915年(大正4年)4月1日に町制を施行して池田町となりました。大正の初めには、岡谷・須坂に次ぐ製糸の町として栄えたといわれます。
1955年(昭和30年)4月1日、池田町と会染村が合併し、改めて池田町が発足しました。1957年(昭和32年)3月31日には、山あいの陸郷村と広津村がいくつかに分けられ、その一部が池田町に入りました。同じ日に東筑摩郡明科町の中之郷・鵜山も加わり、今の町域になっています。平成の合併では、2004年(平成16年)3月に町議会が合併せずに町として続ける決議をしています。
町は安曇野の北部にあり、西に北アルプスを望みます。高瀬川が松川村との境を流れ、西部は平らな田園、東部は山あいです。県内有数の米どころで、近年は花とハーブの栽培も盛んです。戦後は電気・機械を中心とする工業も発展しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北安曇郡に池田町村・会染村・陸郷村・広津村などがそれぞれ発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1915年4月1日大正4年池田町村が町制を施行し、池田町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年池田町と会染村が合併し、改めて池田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1957年3月31日昭和32年陸郷村と広津村が分割され、それぞれの一部が池田町に編入された。あわせて東筑摩郡明科町の一部(中之郷・鵜山)も池田町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。