今の辰野町
長野県の上伊那郡にあり、伊那谷の最も北に位置する町です。南アルプスと中央アルプスの間を天竜川が流れ、支流の横川川が合わさります。古くから県の中央部を結ぶ交通の要所で、三州街道の小野宿もありました。精密機械や電子機器の工場があり、りんごや梨などの果樹も育てられています。初夏には松尾峡で多くのゲンジボタルが飛びかいます。
今の辰野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で18,555人です。今の区域で数えた1980年の23,894人とくらべると22.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.8%です。
主な産業:精密機械・電子機器などの工業と、果樹やそばの農業
特産品・名産
- 龍渓硯町の名産の硯
- りんごシナノスイートなどが作られる
- ほたる丼町のご当地丼
見どころ・祭り
- 松尾峡・ほたる童謡公園ゲンジボタルの名所
- 荒神山公園たつのパークホテルのある公園
- 横川渓谷・三級の滝町の北部の渓谷
- 小野宿三州街道の宿場
- 上島観音堂木造十一面観音立像は重要文化財
木しだれ栗花福寿草辰野町の木・花
辰野町のなりたち
辰野町(たつのまち)は、長野県南信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。朝日村・川島村・小野村・伊那富村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の辰野町になりました。
今の名前「辰野町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の伊那富村が約48km²だったのに対し、今の辰野町は約168km²と、およそ3.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上伊那郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧小野村の区域には小野駅(中央本線)があります。
「辰野町」という名前
辰野町の名前は、1889年(明治22年)の町村制で伊那富村にまとまった旧村の一つ、辰野村の名から取られています。1947年(昭和22年)1月1日に伊那富村が町制を施行したとき、改称して辰野町となりました。「辰野」という地名の由来ははっきりしていません。町は伊那谷の最も北にあり、古くから県の中央部を結ぶ交通の要所でした。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の辰野町の地域には4つの村ができました。伊那富村と辰野村がまとまった伊那富村、上島村と横川村がまとまった川島村、樋口村・平出村・沢底村・赤羽村がまとまった朝日村、そして単独で村となった小野村です。
1947年(昭和22年)1月1日、伊那富村が町制を施行し、名前を辰野町に改めました。昭和の大合併の時期に入ると、1955年(昭和30年)4月1日に辰野町と朝日村が合併して、改めて辰野町が発足しました。1956年(昭和31年)9月30日には川島村を、1961年(昭和36年)3月31日には小野村を編入し、今の町の形になりました。それ以後、町の区域は大きく変わっていません。
町は南アルプスと中央アルプスの間に広がる伊那谷の北の端にあり、天竜川とその支流の横川川が流れています。小野には三州街道の宿場だった小野宿があり、町内の諏訪神社や三輪神社などでは伊那御柱の行事が行われます。町内には電子機器や精密機械の工場が並び、果樹やそばも作られています。初夏には松尾峡で多くのゲンジボタルが飛び、町はこの蛍を特別シンボルにしています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上伊那郡に伊那富村・辰野村の区域で伊那富村、上島村・横川村の区域で川島村、樋口村・平出村・沢底村・赤羽村の区域で朝日村が発足し、小野村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1947年1月1日昭和22年伊那富村が町制を施行し、改称して辰野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年辰野町と朝日村が合併し、改めて辰野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年川島村が辰野町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1961年3月31日昭和36年小野村が辰野町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。