今の諏訪市
長野県の中央部、諏訪湖の南東の岸に広がる市です。江戸時代は高島藩の城下町で、甲州街道の上諏訪宿もありました。戦後は時計やカメラなどの精密機械工業が育ち、今も電子機器などの工業が盛んです。湖畔には上諏訪温泉が湧き、東には霧ヶ峰高原が広がります。諏訪大社上社本宮があり、地酒の酒蔵も並びます。
今の諏訪市の区域の人口は、2020年の国勢調査で48,729人です。今の区域で数えた1980年の50,558人とくらべると3.6%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.2%です。
主な産業:電子機器・精密機械の工業と、温泉や諏訪湖の観光、酒造り
特産品・名産
- 諏訪五蔵の地酒市内の5つの酒蔵の日本酒
- かりん市の木にもなっている果樹
見どころ・祭り
- 高島城高島藩の城。天守を復元
- 諏訪大社上社本宮諏訪大社の上社の一つ
- 上諏訪温泉諏訪湖畔の温泉
- 霧ヶ峰高原八島ヶ原湿原などがある高原
- 諏訪湖長野県最大の湖
木きはだ・かりん花あやめ(はなしょうぶ)・ニッコウキスゲ諏訪市の木・花
諏訪市のなりたち
諏訪市(すわし)は、長野県南信地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。四賀村・上諏訪町・豊田村・中州村・湖南村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の諏訪市になりました。
今の名前「諏訪市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の湖南村が約34km²だったのに対し、今の諏訪市は約110km²と、およそ3.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は諏訪郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧上諏訪町の区域には上諏訪駅(中央本線)があります。
「諏訪市」という名前
諏訪市の名前は、古くからこの地方を指してきた「諏訪」の名から取られています。1941年(昭和16年)8月10日に上諏訪町・豊田村・四賀村が合併して市になったとき、中心の上諏訪町の名ではなく、地方全体の名前である「諏訪」が市の名前になりました。「諏訪」という地名の由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
中世の諏訪は、諏訪大社上社の大祝を務める諏訪氏が治め、戦国時代には武田氏の領国となりました。江戸時代には高島城を拠点とする高島藩の城下町となり、甲州街道の上諏訪宿も栄えました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の市域には上諏訪村・四賀村・豊田村・中洲村・湖南村が生まれました。上諏訪村は1891年(明治24年)に町制を施行して上諏訪町となり、1905年(明治38年)には上諏訪駅が開業しました。明治から昭和のはじめにかけては製糸業で栄えました。
1941年(昭和16年)8月10日、上諏訪町・豊田村・四賀村が合併して諏訪市が発足しました。1955年(昭和30年)4月1日には中洲村と湖南村を編入し、市の区域は今の形に近くなりました。その後も、1958年(昭和33年)・1977年(昭和52年)・1992年(平成4年)に、隣の茅野との間で境界の調整が行われています。
戦後は時計やカメラなどの精密機械工業が育ち、今も電子機器などの工業が市を支えています。市は諏訪湖の南東の岸に広がり、湖畔には上諏訪温泉が湧き、東には霧ヶ峰高原があります。諏訪大社の上社本宮も市内にあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、諏訪郡に上諏訪村・四賀村・豊田村・中洲村・湖南村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年4月28日明治24年上諏訪村が町制を施行し、上諏訪町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1941年8月10日昭和16年上諏訪町・豊田村・四賀村が合併し、諏訪市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年中洲村と湖南村が諏訪市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1958年7月1日昭和33年諏訪市の一部(中洲新井地区の一部)が茅野町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1977年9月1日昭和52年諏訪市と茅野市の間で境界が変更され、四賀神戸の一部が茅野市に、茅野市の新井の一部が諏訪市に編入された。種類:その他 出典:Wikipedia
- 1992年5月1日平成4年飛地を解消するため、茅野市との間で境界が変更された。種類:その他 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。