今の箕輪町
長野県の上伊那郡にあり、伊那谷の北部、天竜川の両岸の段丘に広がる町です。西には中央アルプスがそびえ、西天竜幹線水路の下には水田、上には畑や果樹園が広がります。精密機械や電子部品などの工場が多く、伊那谷の工業の町の一つです。箕輪ダムのもみじ湖や、秋に赤い花が咲くそば畑も知られています。
今の箕輪町の区域の人口は、2020年の国勢調査で24,989人です。今の区域で数えた1980年の19,729人とくらべると26.7%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.7%です。
主な産業:精密機械・電子部品などの工業と、米・果樹・そばの農業
特産品・名産
- 赤そば赤い花を咲かせるそば「高嶺ルビー」
- ローメン羊肉を使った伊那地方の炒め麺
- 信州そば町で作られるそば
見どころ・祭り
- もみじ湖(箕輪ダム)紅葉で知られるダム湖
- 福与城跡県指定史跡の城跡
- 上ノ平城跡県指定史跡の城跡
- 萱野高原町の東の高原
- ながた温泉ながた自然公園の温泉
箕輪町のなりたち
箕輪町(みのわまち)は、長野県南信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。東箕輪村・中箕輪村・箕輪村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の箕輪町になりました。
今の名前「箕輪町」は、1920年にあった箕輪村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の箕輪村が約14km²だったのに対し、今の箕輪町は約86km²と、およそ6.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上伊那郡に属していました。
「箕輪町」という名前
箕輪町の名前は、1955年(昭和30年)1月1日に中箕輪町・箕輪村・東箕輪村の3つの町村が合併したときに付けられました。3つの町村の名前に共通する「箕輪」を取った形です。「箕輪」という地名の由来ははっきりしていません。町は伊那谷の北部にあり、天竜川の両岸の段丘に広がっています。
まちの成り立ち
1875年(明治8年)2月18日、今の町の地域では、沢村・大出村・八乙女村・富田村・木下町村などの村々が合わさって中箕輪村が、長岡村・南小河内村・北小河内村などが合わさって東箕輪村が生まれました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行では、中箕輪村と東箕輪村がそのまま村となり、福与村と三日町村の区域で箕輪村が生まれました。
1913年(大正2年)8月には、中箕輪高等小学校の木曽駒ヶ岳への集団登山が台風に遭い、校長を含む11人が亡くなる遭難事故が起こりました。
1948年(昭和23年)11月3日に中箕輪村が町制を施行して中箕輪町となりました。1954年(昭和29年)12月31日には、伊那市の西箕輪のうち中曽根の区域が中箕輪町に移っています。そして1955年(昭和30年)1月1日、中箕輪町・箕輪村・東箕輪村が合併して箕輪町が発足しました。それ以来、町の区域は大きく変わっていません。
町の西側には中央自動車道に沿って西天竜幹線水路が通り、水路より低い側には水田が、高い側には畑や果樹園が広がります。町内には精密機械や電子部品の工場が多く、伊那谷の工業の町の一つです。山あいの箕輪ダムのもみじ湖は紅葉の名所として知られます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上伊那郡に中箕輪村・東箕輪村がそれぞれ単独で、福与村・三日町村の区域で箕輪村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年11月3日昭和23年中箕輪村が町制を施行し、中箕輪町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年12月31日昭和29年伊那市の一部(西箕輪のうち中曽根)が中箕輪町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1955年1月1日昭和30年中箕輪町・箕輪村・東箕輪村が合併し、箕輪町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。