今の岡谷市
長野県中部の南信地方にあり、諏訪湖の西岸に市街地が広がる工業の市です。天竜川は市内の釜口水門で諏訪湖から流れ出します。明治から昭和の初めには製糸業の中心地として栄え、今は時計やカメラ、電気部品などの精密機械工業が盛んです。諏訪湖ではうなぎの養殖が行われ、味噌づくりも盛んです。鶴峯公園のつつじなど花の名所もあります。
今の岡谷市の区域の人口は、2020年の国勢調査で47,790人です。今の区域で数えた1980年の62,210人とくらべると23.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.7%です。
主な産業:精密機械・電気部品などの工業、味噌、うなぎ
特産品・名産
- うなぎ諏訪湖で養殖される特産品
- 信州味噌1950年代に生産量日本一だった味噌
見どころ・祭り
- 市立岡谷蚕糸博物館製糸業の歴史を伝える博物館
- イルフ童画館武井武雄の童画を展示
- 鶴峯公園市花のつつじが植えられた公園
- 諏訪湖・釜口水門諏訪湖の水が流れ出す水門
- 梨久保遺跡黒曜石の産地の中心だった縄文の遺跡
木いちい花つつじ岡谷市の木・花
岡谷市のなりたち
岡谷市(おかやし)は、長野県南信地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。湊村・川岸村・長地村・平野村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の岡谷市になりました。
今の名前「岡谷市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の平野村が約45km²だったのに対し、今の岡谷市は約84km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は諏訪郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧川岸村の区域には川岸駅(中央本線)があります。
「岡谷市」という名前
市の名は、明治の初めまであった岡谷村の名からとられました。岡谷村は、1874年(明治7年)に小口村・小井川村・今井村などと合わさって平野村になりました。平野村は1936年(昭和11年)4月1日に市制を施行するとき、名前を改めて岡谷市となりました。市章は上半分の円で「岡」、下半分の円で「谷」を表しています。「岡谷」という地名の意味ははっきりしていません。
まちの成り立ち
1874年(明治7年)、諏訪湖の西岸の岡谷村・小口村・小井川村・今井村などがまとまって平野村が生まれました。1889年(明治22年)4月1日の町村制では、平野村のほか、湊村・川岸村・長地村もそのまま村として続きました。
平野村は製糸業で大きく発展し、1936年(昭和11年)4月1日に町を経ずに市制を施行して岡谷市となりました。村が町制を経ずに市になったのは、長野県ではこのときだけです。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)1月1日に湊村、2月1日に川岸村、1957年(昭和32年)3月25日に長地村を編入し、今の市域がほぼ整いました。1958年(昭和33年)には東山田などの一部が下諏訪町に移っています。
1870年代から1920年代にかけては製糸業の中心地として栄えました。今は時計やカメラ、電気部品などの精密機械工業が盛んです。1950年代には味噌の生産量が日本一でした。諏訪湖から流れ出る天竜川は、市内の釜口水門から始まります。縄文時代の梨久保遺跡は、黒曜石の産地の中心地の一つだったとされます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、諏訪郡の平野村・湊村・川岸村・長地村がそれぞれそのまま村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1936年4月1日昭和11年平野村が市制を施行するとともに改称し、岡谷市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1955年1月1日昭和30年湊村が岡谷市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1955年2月1日昭和30年川岸村が岡谷市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1957年3月25日昭和32年長地村が岡谷市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1958年7月1日昭和33年岡谷市の一部(東山田・東堀の一部)が下諏訪町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。