今の木島平村
長野県の北部、下高井郡にある村で、千曲川をはさんで飯山市の向かい側にあります。面積の多くは山林で、樽川や馬曲川が流れ、高社山を望みます。米づくりが盛んで、千曲川沿いの平地に田んぼが広がります。冬は雪が多く、スキー場に人が訪れます。カヤの平高原のブナ林や樽滝などの自然もあります。村の木はケヤキ、村の花は福寿草です。
今の木島平村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,375人です。今の区域で数えた1980年の6,077人とくらべると28.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.9%です。
主な産業:米づくりを中心とした農業と、スキー場などの観光
特産品・名産
- 木島平米村で作られるコシヒカリ
- 名水火口そばオヤマボクチをつなぎにしたそば
見どころ・祭り
- カヤの平高原ブナ林の広がる高原
- 樽滝樽川にかかる雄滝と雌滝
- 根塚遺跡弥生時代の墳丘墓の遺跡
- 道の駅FARMUS木島平村の道の駅
木ケヤキ花福寿草木島平村の木・花
木島平村のなりたち
木島平村(きじまだいらむら)は、長野県北信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。往郷村・穂高村・上木島村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の木島平村になりました。
今の名前「木島平村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の往郷村が約48km²だったのに対し、今の木島平村は約100km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下高井郡に属していました。
「木島平村」という名前
木島平村は、1955年(昭和30年)2月1日に穂高村・往郷村・上木島村の3か村が合併して生まれた村です。中世にこの地に木島郷があり、江戸時代にはこのあたり一帯が「木島平」と呼ばれていたことから、新しい村の名前が付けられました。村章は「木」の字を図案にしたもので、1973年(昭和48年)に公募で定められました。
「近世にはこの地一帯が木島平と呼ばれていたことから名付けられました。」── 木島平村「村の概要」
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の木島平村の地域では、上木島村・往郷村・穂高村がそれぞれそのまま村となりました。どの村も、江戸時代から明治のはじめにかけて小さな村々がまとまってできた村です。
1955年(昭和30年)2月1日、穂高村・往郷村・上木島村の3か村が合併して木島平村が発足しました。合併したときの人口は8,206人で、1960年(昭和35年)には働く人の8割近くが農業に携わっていました。1981年(昭和56年)には栄村との境界が確定しています。平成の大合併の時期には飯山市などとの合併が話し合われましたが、2004年(平成16年)3月、村は単独で歩む道を選びました。
村は長野県の北部、千曲川をはさんで飯山市の向かい側にあります。面積の多くは山林で、樽川や馬曲川が流れ、高社山を望みます。米づくりが盛んで、千曲川沿いの平地に田んぼが広がります。冬は雪が多く、スキー場に多くの人が訪れます。カヤの平高原のブナ林や、樽川の樽滝などの自然もあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下高井郡に上木島村・往郷村・穂高村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年穂高村・往郷村・上木島村が合併し、木島平村が発足した。種類:新設合併 出典:www.vill.kijimadaira.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。