今の山ノ内町
長野県の北東部、下高井郡にある町です。周りを山に囲まれた盆地で、町の面積の多くを志賀高原などの山林が占めます。集落は河岸段丘や扇状地の斜面に広がり、りんごやぶどう、ももの畑があります。湯田中渋温泉郷や、温泉に入るサルで知られる地獄谷野猿公苑があり、冬は志賀高原のスキー場ににぎわいます。
今の山ノ内町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,352人です。今の区域で数えた1980年の18,964人とくらべると40.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.1%です。
主な産業:温泉とスキーの観光と、りんご・ぶどう・ももの果樹栽培
特産品・名産
- りんご段丘や扇状地の畑で作られる
- ぶどう斜面の畑で作られる
- もも斜面の畑で作られる
見どころ・祭り
- 志賀高原湿原や池が点在する高原
- 湯田中渋温泉郷湯量の豊かな温泉地
- 地獄谷野猿公苑温泉に入るサルで知られる
- 渋の地獄谷噴泉国の天然記念物の噴泉
- 佐野神社本殿国の重要文化財
山ノ内町のなりたち
山ノ内町(やまのうちまち)は、長野県北信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。平穏村・夜間瀬村・穂波村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の山ノ内町になりました。
今の名前「山ノ内町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は下高井郡に属していました。
「山ノ内町」という名前
山ノ内町は、1955年(昭和30年)4月に平穏町・穂波村・夜間瀬村の1町2村が合併して生まれた町です。町の名前には、合併した町村のどれの名前でもない「山ノ内」が選ばれました。この名前の由来や、選ばれたいきさつははっきりしていません。町は周りを山に囲まれた盆地にあり、志賀高原と湯田中渋温泉郷を抱えています。
まちの成り立ち
山ノ内町の地域では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が見つかっています。平安時代には朝廷の馬を育てる牧が置かれていたと伝えられています。江戸時代には耕地が少なく、雑穀を食べ、竹細工や木工品、炭焼きなどで暮らしを支えていました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、平穏村と夜間瀬村がそれぞれ村となり、佐野村・寒沢村・戸狩村がまとまって穂波村が生まれました。1954年(昭和29年)4月には平穏村が町制を施行して平穏町となり、1955年(昭和30年)4月1日に平穏町・穂波村・夜間瀬村が合併して山ノ内町が発足しました。それ以来、町の区域は変わっていません。
町の面積の88パーセントは山林や原野で、その7割あまりを志賀高原が占めています。集落は夜間瀬川などがつくった河岸段丘や扇状地のゆるやかな斜面に広がり、りんごやぶどう、ももの畑が広がります。湯田中・渋などの温泉は湯量が豊かで、温泉に入るニホンザルで知られる地獄谷野猿公苑もあります。冬は雪が多く、志賀高原や北志賀高原のスキー場に多くの人が訪れます。志賀高原は、ユネスコエコパークにも登録されています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下高井郡に平穏村・夜間瀬村がそれぞれ単独で、佐野村・寒沢村・戸狩村の区域で穂波村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年平穏村が町制を施行し、平穏町となった。種類:町制施行 出典:www.town.yamanouchi.nagano.jp
- 1955年4月1日昭和30年平穏町・穂波村・夜間瀬村が合併し、山ノ内町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.yamanouchi.nagano.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。