今の栄村
長野県の最北部にあり、新潟県と群馬県に接する村です。北部を千曲川が東西に流れ、志久見川と中津川の沿岸に集落が並びます。南部は鳥甲山や苗場山などの山岳地帯で、奥に秋山郷の集落と温泉が点在します。全国でも有数の豪雪地で、森宮野原駅には7.85mの積雪記録を示す標柱が立っています。2011年の長野県北部地震で大きな被害を受けました。
今の栄村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,660人です。今の区域で数えた1980年の3,502人とくらべると52.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は54.4%です。
主な産業:米づくりなどの農業と、秋山郷の温泉・スキー場を生かした観光
特産品・名産
- 猫つぐらわらで編んだ猫の寝床。村の名産
見どころ・祭り
- 秋山郷中津川沿いの山あいの集落と温泉
- 森宮野原駅の積雪標柱1945年の7.85mの積雪を示す標柱
- 栄村歴史文化館「こらっせ」元分校を改装した収蔵展示施設
- 苗場山麓ジオパーク苗場山のふもとに広がるジオパーク
木桐花カタクリ鳥ブッポウソウ栄村の木・花・鳥
栄村のなりたち
栄村(さかえむら)は、長野県北信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。水内村・堺村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の栄村になりました。
今の名前「栄村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は下水内郡・下高井郡に属していました。
「栄村」という名前
栄村の名は、1956年(昭和31年)9月30日に堺村と水内村が合併したときに付けられた新しい名前です。どちらの旧村の名前も使わず、「栄」の一字が選ばれました。名前に込めた意味を伝える記録ははっきりしていません。村の木の桐は、未来に向かって発展をめざす村にふさわしい木とされ、村章も「さかえ」の頭文字の「さ」を図案にしています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の村域には下高井郡の堺村と、下水内郡の水内村が生まれました。堺村は1875年(明治8年)ごろに志久見村と箕作村がまとまった村で、町村制ではそのまま一つの村となりました。水内村は豊栄村と北信村がまとまってできた村です。
1956年(昭和31年)9月30日、郡の違う2つの村が合併し、下水内郡栄村が発足しました。それ以来、村の区域は大きく変わっていません。
村は長野県の北の端にあり、新潟県と群馬県に接しています。北部を千曲川が東西に流れ、志久見川と中津川が南北に流れて、川沿いの平らな土地に集落があります。南部は鳥甲山や苗場山を中心とする2,000m級の山々で、奥には秋山郷の集落が点在します。全国でも有数の豪雪地で、森宮野原駅では1945年(昭和20年)2月に7.85mの積雪を記録しました。駅にはその高さを示す標柱が立っています。
2011年(平成23年)3月12日の長野県北部地震では震度6強を観測し、住宅33棟が全壊しました。JR飯山線や国道117号も不通になり、多くの住民が避難しました。その後、壊れた家から古文書や民具を救う活動が進み、2016年(平成28年)には元の分校を生かした栄村歴史文化館「こらっせ」が開館しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下高井郡に堺村が単独で、下水内郡に豊栄村・北信村の区域で水内村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年下高井郡堺村と下水内郡水内村が合併し、下水内郡栄村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。