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南箕輪村みなみみのわむら

南箕輪村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の南箕輪村

長野県の伊那谷、上伊那郡にある村です。集落のある東側と、伊那市をはさんだ西側の山林に分かれた形をしています。信州大学農学部のキャンパスがあり、伊那市に近いことから住宅地としても人が増えてきました。大芝高原には大芝湖を囲む公園や温泉施設が集まっています。いちごやりんご、米などの農業も行われています。

今の南箕輪村の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,797人です。今の区域で数えた1980年の8,877人とくらべると78.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.6%です。

15,797人人口(2020年)
+78.0%1980年からの増減
40.99km²面積(国土地理院)
385人/km²人口密度
23.6%65歳以上の割合
15,7971980199020052020
15歳未満 15.9%15〜64歳 60.5%65歳以上 23.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:いちご・りんご・米などの農業と、伊那市に近い住宅地

特産品・名産

  • 大芝高原いちご水耕栽培で育てるいちご
  • りんご村で作られる果物
  • コシヒカリ村で作られる米

見どころ・祭り

  • 信州大芝高原大芝湖を囲む公園と運動施設
  • 大芝の湯大芝高原の温泉施設
  • 倉田城跡村内の城跡
  • 神子柴遺跡旧石器時代末の石器が出た遺跡

木赤松花菊南箕輪村の木・花

南箕輪村のなりたち

南箕輪村(みなみみのわむら)は、長野県南信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに南箕輪村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は上伊那郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
41km²今の面積

「南箕輪村」という名前

南箕輪村は、1875年(明治8年)2月18日に、久保村・大泉村・北殿村・南殿村・田畑村・神子柴村の6か村が合併して生まれました。このあたりは箕輪郷と呼ばれた地域の南にあたるため、「南箕輪村」と名付けられました。村は村が生まれた2月18日を「南箕輪村の日」と定めています。

「箕輪郷の南に位置することから、南箕輪村と命名されました。」── 南箕輪村「わたしたちの村」

まちの成り立ち

1875年(明治8年)2月18日、筑摩県伊那郡の田畑村・神子柴村・大泉村・久保村・南殿村・北殿村の6か村が合併して南箕輪村が生まれました。1876年(明治9年)8月21日に筑摩県がなくなって長野県に属し、1879年(明治12年)1月4日には上伊那郡に入りました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行では、南箕輪村の区域がそのまま南箕輪村となり、それ以来区域は変わっていません。

村の形は少し変わっていて、東西の二つの部分に分かれています。西側の大きな部分は伊那市の西箕輪をはさんだ山林で、合併前の6か村が共同で使っていた入会地でした。人の住む集落は東側にあり、天竜川の西の段丘に広がっています。

村には信州大学農学部のキャンパスがあり、伊那市や箕輪町に近いことから住宅地としても人が増えてきました。大芝高原には大芝湖を囲む公園や運動施設、宿泊施設、温泉施設が集まり、村の人たちの憩いの場になっています。農業ではいちごやりんご、米などが作られています。村内には倉田城の跡や、旧石器時代の終わりごろの石器が見つかった神子柴遺跡があります。

年表

  1. 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、南箕輪村は上伊那郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上伊那郡南箕輪村の区域をもって南箕輪村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南箕輪村1889〜今

参考にした資料