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原村はらむら

原村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の原村

長野県の諏訪郡にあり、八ヶ岳連峰の西のすそ野に東西に細長く広がる村です。標高1000メートル前後の高原に畑と集落が並び、涼しい気候を生かしてセロリなどの高原野菜やアネモネなどの花が作られています。夏は避暑地としてにぎわい、ペンションが集まる地区もあります。阿久遺跡など縄文時代の遺跡もあります。

今の原村の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,680人です。今の区域で数えた1980年の6,125人とくらべると25.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は34.8%です。

7,680人人口(2020年)
+25.4%1980年からの増減
43.26km²面積(国土地理院)
178人/km²人口密度
34.8%65歳以上の割合
7,6801980199020052020
15歳未満 12.8%15〜64歳 52.4%65歳以上 34.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:セロリなどの高原野菜や花の農業と、避暑地の観光

特産品・名産

  • セロリ村の主な高原野菜
  • アネモネ村で多く作られる花
  • 高原野菜涼しい高原で作られる野菜

見どころ・祭り

  • 八ヶ岳自然文化園八ヶ岳西麓の自然公園
  • 八ヶ岳美術館村営の美術館
  • 阿久遺跡縄文時代の遺跡
  • 臥竜遺跡村内の遺跡

木ヒメバラモミ花レンゲツツジ原村の木・花

原村のなりたち

原村(はらむら)は、長野県南信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに原村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は諏訪郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
43km²今の面積

「原村」という名前

原村は、1875年(明治8年)1月23日に、八ヶ岳の西のすそ野に並ぶ8つの村が合併して生まれた村です。合わさったのは大久保・柳沢・八ツ手・払沢・柏木・菖蒲沢・室内・中新田の村々で、多くは江戸時代に開かれた新田の村でした。「原」という名前の由来ははっきりしていません。

まちの成り立ち

今の原村の地域には、江戸時代に八ヶ岳の西のすそ野を切り開いて生まれた新田の村が並んでいました。1871年(明治4年)の戸籍区の編成では筑摩県の2つの区に分かれ、1875年(明治8年)1月23日に、大久保・柳沢・八ツ手・払沢・柏木・菖蒲沢・中新田・室内の8か村が合併して諏訪郡原村となりました。1876年(明治9年)8月21日には、筑摩県がなくなって長野県に属するようになります。

1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行では、原村の区域がそのまま原村となりました。周りの村々はその後の合併で茅野市や富士見町になりましたが、原村は区域を変えずに今に至ります。

村は諏訪盆地の南東、八ヶ岳連峰の西の斜面に東西に細長く広がり、標高1000メートル前後の高原に集落と畑が並びます。1981年(昭和56年)には中央自動車道が村を通りました。農業が村の中心の産業で、セロリなどの高原野菜やアネモネなどの花が作られています。夏は避暑地としてにぎわい、ペンションが集まる地区もあります。阿久遺跡など縄文時代の遺跡があり、諏訪大社の御柱祭では原村の氏子が茅野市泉野の氏子とともに上社の柱を曳きます。

年表

  1. 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、原村は諏訪郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、諏訪郡原村の区域をもって原村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

原村1889〜今

参考にした資料