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南牧村みなみまきむら

南牧村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の南牧村

長野県の東の端、八ヶ岳の東のすそ野にある村です。千曲川沿いの海ノ口地区と、標高の高い野辺山地区からなります。冷涼な気候を生かした白菜やレタスなどの高原野菜の畑が広がり、野辺山の工場では牛乳やヨーグルトも作られています。野辺山高原には国立天文台の電波観測所があり、夏は避暑やスポーツ合宿の客でにぎわいます。

今の南牧村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,242人です。今の区域で数えた1980年の3,435人とくらべると5.6%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.9%です。

3,242人人口(2020年)
−5.6%1980年からの増減
133.09km²面積(国土地理院)
24人/km²人口密度
30.9%65歳以上の割合
3,5821980199020052020
15歳未満 10.5%15〜64歳 58.7%65歳以上 30.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:白菜・レタスなどの高原野菜づくりと酪農、夏の避暑・合宿の観光

特産品・名産

  • レタス昭和30年代から作られる高原野菜
  • 白菜1935年ごろから作られる高原野菜
  • ポッポ牛乳野辺山の牛乳工場で作る乳製品

見どころ・祭り

  • 国立天文台野辺山宇宙電波観測所野辺山高原の電波観測所
  • 矢出川遺跡日本で初めて細石刃が見つかった国の史跡
  • 海ノ口城跡武田晴信の初陣の地と伝わる山城
  • 本沢温泉八ヶ岳の山中の温泉
  • 野辺山SLランド野辺山の観光施設

南牧村のなりたち

南牧村(みなみまきむら)は、長野県東信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに南牧村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は南佐久郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
133km²今の面積

「南牧村」という名前

南牧村は、1889年(明治22年)の町村制の施行で、海尻村・海ノ口村・広瀬村・平沢村と、大明村のうち板橋の区域がまとまって生まれた村です。江戸時代のこの地域は、海尻・海ノ口・広瀬・板橋・平沢の五か村に分かれていました。「南牧」という名前の由来ははっきりしていません。読みは「みなみまき」です。

まちの成り立ち

江戸時代、今の南牧村の地域は海尻村・海ノ口村・広瀬村・板橋村・平沢村の五か村に分かれ、それぞれが年貢を納めていました。今の野辺山地区は当時は板橋村に属し、寒さが厳しく作物が実りにくい荒れ地でした。1686年には、吹雪の中を行き来する旅人を助けるため茶屋が3軒建てられ、これが矢出原三軒屋の始まりとされています。

1875年(明治8年)に板橋村と、今の川上村にあった樋沢村が合併して大明村となりました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、海尻村・海ノ口村・広瀬村・平沢村と、大明村のうち板橋の区域がまとまり、南牧村が生まれました。樋沢の区域は川上村に加わっています。それ以来、村の区域は変わっていません。

1935年(昭和10年)に小海線が全通すると、この年に小さな出荷組合ができ、白菜や大根などの高原野菜づくりが始まりました。1942年(昭和17年)には野辺山の広い土地が軍の演習地として買い上げられました。戦後は野辺山地区で開拓が進み、昭和30年代からはレタスやキャベツの生産が始まって、村は高原野菜の一大産地になりました。

村は千曲川沿いの海ノ口地区と、八ヶ岳のすそ野の野辺山地区からなります。野辺山には国立天文台の野辺山宇宙電波観測所があり、日本で初めて細石刃が見つかった矢出川遺跡は国の史跡です。

年表

  1. 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、海尻村・海ノ口村などの今の村域の村々は南佐久郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南佐久郡の海尻村・海ノ口村・広瀬村・平沢村と大明村のうち板橋の区域をもって南牧村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.nagano.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南牧村1889〜今

参考にした資料