今の富士見町
長野県の諏訪地域の東の端にある町です。東は八ヶ岳、西は入笠山に挟まれた高原にあり、南は山梨県と接します。遠くに富士山が見えることが町の名の由来です。涼しい気候を生かしてレタスやキャベツなどの高原野菜、カーネーションや菊が作られています。縄文時代の井戸尻遺跡や入笠湿原、高原のリゾートもあります。
今の富士見町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,084人です。今の区域で数えた1980年の14,080人とくらべると0.0%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は36.5%です。
主な産業:高原野菜や花の農業と、高原リゾートの観光
特産品・名産
- 手打ちそば町の特産品
- カーネーション・菊高原で作られる花
- 高原野菜レタスやキャベツなど
見どころ・祭り
- 井戸尻遺跡縄文時代の遺跡。考古館がある
- 入笠山・入笠湿原南アルプス北端の山と湿原
- 旧富士見高原療養所今の富士見高原病院。資料館がある
- 道の駅信州蔦木宿甲州街道の宿場跡の道の駅
- 信玄の棒道八ヶ岳のすそ野を通る古道
木白樺花すずらん富士見町の木・花
富士見町のなりたち
富士見町(ふじみまち)は、長野県南信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。本郷村・境村・落合村・富士見村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の富士見町になりました。
今の名前「富士見町」は、1920年にあった富士見村の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の富士見村が約42km²だったのに対し、今の富士見町は約144km²と、およそ3.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は諏訪郡に属していました。
「富士見町」という名前
富士見町の名前は、もとの富士見村から受け継がれました。富士見村は1874年(明治7年)に木の間村など10か村が合併して生まれた村で、東西を山に挟まれた土地から遠くに富士山が見えることから、この名が付きました。1955年(昭和30年)に4か村が合併したときも、どの村からも富士山が望めることから「富士見町」の名が選ばれました。
「遠くに富士山を望めることから「富士見」の名が付きました。」── 富士見町「富士見町のプロフィール」
まちの成り立ち
1874年(明治7年)、筑摩県の通達により、木の間村など10か村が合併して富士見村が生まれました。同じころ、周りでも落合村や境村などが小さな村の合併で生まれています。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行では、富士見村・境村・落合村がそれぞれそのまま村となり、乙事村と立沢村の区域が本郷村となりました。
1904年(明治37年)12月21日には中央本線が通り、富士見駅と信濃境駅ができました。富士見の高原には結核の療養所が開かれ、多くの人が療養に訪れました。
1955年(昭和30年)4月1日、富士見村・境村・本郷村・落合村の4か村が合併して富士見町が発足しました。それ以来、町の区域は変わっていません。1981年(昭和56年)3月30日には中央自動車道が開通し、諏訪南インターチェンジができました。
町は諏訪地域の東の端にあり、東は八ヶ岳、西は入笠山に挟まれた高原の町で、南は山梨県と接しています。縄文時代の井戸尻遺跡には考古館があり、甲州街道の宿場だった蔦木宿の跡には道の駅があります。高原の涼しい気候を生かしたレタスやキャベツ、カーネーションや菊の栽培が盛んです。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、諏訪郡に富士見村・境村・落合村がそれぞれ単独で、乙事村・立沢村の区域で本郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年富士見村・境村・本郷村・落合村が合併し、富士見町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.fujimi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。