今の北相木村
長野県東部、南佐久郡にある村です。群馬県上野村との境にあり、面積の約9割が山林です。谷間を流れる相木川に沿って集落が続き、御座山などの山々に囲まれています。標高の高い土地で白菜やレタスなどの高原野菜と花が育てられています。縄文時代の栃原岩陰遺跡と考古博物館があり、御座山は日本二百名山の一つです。
今の北相木村の区域の人口は、2020年の国勢調査で752人です。今の区域で数えた1980年の1,299人とくらべると42.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.9%です。
主な産業:白菜・レタスなどの高原野菜と花の栽培、林業
特産品・名産
- 高原野菜白菜・レタス・キャベツが主な作物
- キク村の主な花の作物
見どころ・祭り
- 栃原岩陰遺跡村にある遺跡
- 北相木村考古博物館遺跡を紹介する役場隣の博物館
- 三滝山・三滝冬に滝が凍る信仰の山
- 御座山日本二百名山の山
木からまつ花しゃくなげ鳥やまどり北相木村の木・花・鳥
北相木村のなりたち
北相木村(きたあいきむら)は、長野県東信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに北相木村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は南佐久郡に属していました。
「北相木村」という名前
村の名は、もとの相木村が南北に分かれ、その北側が北相木村となったことによります。1565年(永禄8年)に佐久郡の相木村が分けられたのが始まりとされます。南側は南相木村となり、二つの村は今も相木川の流域に並んでいます。明治以降、北相木村は合併も分離もしておらず、村の名は戦国時代から変わっていません。「相木」という地名の語源ははっきりしていません。
まちの成り立ち
北相木村は、1565年(永禄8年)に佐久郡の相木村が南北に分けられ、北側の村として生まれたとされます。1879年(明治12年)の郡区町村編制法で南佐久郡に属し、1889年(明治22年)4月1日の町村制でもそのまま村となりました。明治以降、ほかの町村との合併や分離はなく、今の村につながっています。
1985年(昭和60年)に日本航空123便が群馬県上野村の山中に墜落したときには、翌日、村の小学校に自衛隊の前進指揮所が置かれました。1986年(昭和61年)からは都会の子どもを受け入れる山村留学を続けています。2015年(平成27年)には村の誕生から450年を迎えました。平成の合併でも村のまま歩んでいます。
村は群馬県上野村との境にあり、面積の約9割が山林です。御座山などの山々に囲まれ、谷間を流れる相木川に沿って集落が並びます。米づくりはわずかで、白菜・レタス・キャベツなどの高原野菜と、キクなどの花が主な作物です。縄文時代の初めの栃原岩陰遺跡があり、役場の隣の考古博物館で出土品が紹介されています。
年表
- 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、北相木村は南佐久郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南佐久郡北相木村がそのまま村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。