今の長和町
長野県の中東部、小県郡にある町です。依田川と大門川が流れ、中山道の長久保宿と和田宿の町並みが残ります。和田峠の周辺は縄文時代からの黒曜石の産地で、町は黒耀石を特別シンボルにしています。南には美ヶ原につながる高原が広がり、牧場やスキー場があります。高原ではダッタンそばなどが作られています。
今の長和町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,600人です。今の区域で数えた1980年の8,185人とくらべると31.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.5%です。
主な産業:そば・野菜の農業と酪農、高原や宿場の観光
特産品・名産
- ダッタンそば町が栽培に力を入れるそば
- 長門牧場の乳製品高原の牧場で作られる
見どころ・祭り
- 和田宿本陣中山道の宿場の本陣
- 長久保宿中山道の宿場町
- 星糞峠黒曜石原産地遺跡縄文時代の黒曜石の採掘跡
- 美ヶ原高原町の南の高原
- 長門牧場高原の牧場
木山桜花ツツジ長和町の木・花
長和町のなりたち
長和町(ながわまち)は、長野県東信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。長窪古町・長久保新町・大門村・和田村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の長和町になりました。
今の名前「長和町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の和田村が約88km²だったのに対し、今の長和町は約184km²と、およそ2.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は小県郡に属していました。
「長和町」という名前
長和町の名前は、2005年(平成17年)10月1日に合併した長門町と和田村の名前から、1字ずつ取って付けられました。長門町は1956年(昭和31年)に長久保新町・長窪古町・大門村が合併してできた町で、その名も「長」久保・長窪と大「門」から取られたと考えられます。読みは「ながわ」です。
まちの成り立ち
和田峠の周辺は黒曜石の産地で、縄文時代から石器の材料として各地に運ばれました。町の南西の鷹山には、黒曜石を掘り出した星糞峠の遺跡が残っています。江戸時代には中山道が通り、長久保宿と和田宿が置かれました。和田宿は難所の和田峠を前にした宿場で、本陣の建物が今も残っています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、宿場町だった長久保新町と長窪古町がそれぞれ町となり、大門村と和田村もそれぞれ村となりました。1956年(昭和31年)9月30日、長久保新町・長窪古町・大門村が合併して長門町が発足しました。
2005年(平成17年)10月1日、長門町と和田村が合併して長和町が誕生しました。2008年(平成20年)10月1日には町民憲章とともに町の花・木と特別シンボルが定められ、特別シンボルには黒耀石が選ばれました。
町は長野県の中東部、小県郡にあり、依田川と大門川が流れます。南には美ヶ原や霧ヶ峰につながる高原が広がり、牧場やスキー場があります。高原の涼しい気候を生かしてダッタンそばなどが作られています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、小県郡に長久保新町・長窪古町がそれぞれ単独で町制を、大門村・和田村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年長久保新町・長窪古町・大門村が合併し、長門町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2005年10月1日平成17年長門町と和田村が合併し、長和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。