今の木曽町
長野県の南西部、木曽郡の中ほどにある町です。面積の多くは山林で、中央を木曽川が南北に流れます。東には木曽駒ヶ岳、西には御嶽山がそびえ、町は御嶽山を町のシンボルにしています。中山道の福島宿と福島関所跡、木曽義仲ゆかりの義仲館があり、標高の高い開田高原では木曽馬が育てられています。2005年に木曽福島町など4町村が合併して生まれました。
今の木曽町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,584人です。今の区域で数えた1980年の17,426人とくらべると39.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.4%です。
主な産業:林業と、御嶽山・開田高原・宿場町の観光
特産品・名産
- すんき漬け塩を使わない木曽の漬物
- 朴葉巻き朴の葉で包む木曽の菓子
- とうじそばそばを汁にくぐらせて食べる郷土料理
見どころ・祭り
- 福島関所跡中山道の関所の跡
- 山村代官屋敷木曽谷を治めた山村氏の屋敷
- 御嶽山町のシンボルの山
- 木曽馬の里開田高原で木曽馬を育てる施設
- 義仲館木曽義仲ゆかりの資料館
木曽町のなりたち
木曽町(きそまち)は、長野県中信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。新開村・福島町・開田村・日義村・三岳村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の木曽町になりました。
今の名前「木曽町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の開田村が約149km²だったのに対し、今の木曽町は約475km²と、およそ3.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は木曽郡・西筑摩郡に属していました。
「木曽町」という名前
木曽町の名前は、この地方を指す「木曽」の名から取られています。2005年(平成17年)に木曽福島町・日義村・開田村・三岳村が合併したとき、木曽谷の中ほどにある町として、この名が選ばれました。「木曽」という地名そのものの由来ははっきりしていません。町は2017年(平成29年)に御嶽山を町のシンボルに定めています。
まちの成り立ち
江戸時代、今の木曽町の中心の福島には中山道の福島宿と福島関所が置かれ、木曽谷を治めた代官の山村氏の屋敷がありました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、福島村・日義村・新開村・三岳村がそれぞれ村となり、西野村と末川村がまとまって開田村が生まれました。福島村は1893年(明治26年)に町制を施行して福島町となりました。
1967年(昭和42年)4月3日、福島町と新開村が合併して木曽福島町が発足しました。翌1968年(昭和43年)5月1日には、西筑摩郡が名前を改めて木曽郡となっています。平成の時期には木曽郡全体での合併も話し合われましたが、まとまらず、2005年(平成17年)11月1日に木曽福島町・日義村・開田村・三岳村の4町村が合併して木曽町が発足しました。
町の面積の多くは山林で、中央を木曽川が南北に流れ、川沿いに国道19号と中央本線が通ります。東には木曽駒ヶ岳、西には御嶽山がそびえ、標高1,000メートルを超える開田高原では木曽馬が育てられています。日義には木曽義仲ゆかりの義仲館があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西筑摩郡に福島村・日義村・新開村・三岳村がそれぞれ単独で、西野村・末川村の区域で開田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1893年5月27日明治26年福島村が町制を施行し、福島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1967年4月3日昭和42年福島町と新開村が合併し、木曽福島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1968年5月1日昭和43年西筑摩郡が改称して木曽郡となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 2005年11月1日平成17年木曽福島町・日義村・開田村・三岳村が合併し、木曽町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。