今の宮田村
長野県の南部、上伊那郡にある村です。中央アルプスのふもとから天竜川まで広がり、太田切川が流れます。木曽駒ヶ岳や千畳敷カールへの登山口があり、夏の宮田祇園祭のあばれ神輿でも知られます。三州街道の宮田宿の本陣が残り、村内ではワインやビールも造られています。1956年に駒ヶ根市から分かれて村になりました。
今の宮田村の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,569人です。今の区域で数えた1980年の7,582人とくらべると13.0%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.8%です。
主な産業:機械などの工業と、ワインやビールの醸造
特産品・名産
- 紫輝村のぶどうで造る信州みやだワイン
- 南信州ビール村内で造られるビール
見どころ・祭り
- 千畳敷カール中央アルプスの氷河地形
- 津島神社宮田祇園祭のあばれ神輿で知られる
- 旧新井家住宅宮田宿の本陣の建物
- 中越遺跡縄文時代の遺跡
- 宮田高原中央アルプスのふもとの高原
宮田村のなりたち
宮田村(みやだむら)は、長野県南信地方の村です。
1920年の時点で、この区域の町村は上伊那郡に属していました。
「宮田村」という名前
宮田村の名前は、平安時代の『延喜式』や『和名類聚抄』に出てくる「宮田」の地名にちなむとされます。このころ、宮田には東山道の宮田駅が置かれていました。1956年(昭和31年)に駒ヶ根市から分かれたときも、もとの宮田村の名前で再び村となりました。
まちの成り立ち
宮田は古くから人が暮らしてきた土地で、中越遺跡からは縄文時代の土器が見つかっています。江戸時代には高遠藩の領地となり、三州街道の宮田宿が置かれました。1875年(明治8年)に宮田村と中越村が合わさって宮田村となり、1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行でもそのまま宮田村となりました。
1954年(昭和29年)1月1日、宮田村は町制を施行して宮田町になりました。同じ年の7月1日には、宮田町・赤穂町・中沢村・伊那村が合併して駒ヶ根市が発足し、宮田は市の一部になりました。この合併は、市をつくったあとで宮田を分ける計画のもとで進められたとされますが、市議会が分立を認めず、住民による強い運動が続きました。そして1956年(昭和31年)9月30日、宮田の区域が駒ヶ根市から分かれ、上伊那郡宮田村が発足しました。町ではなく村として戻ったのは、その間に町になるための人口の条件が変わっていたためといわれます。
村は中央アルプスのふもとから天竜川まで広がり、太田切川が流れています。木曽駒ヶ岳や千畳敷カールへの登山口があり、夏の宮田祇園祭では神輿を壊すほど激しく担ぐ「あばれ神輿」が行われます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上伊那郡宮田村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年1月1日昭和29年宮田村が町制を施行し、宮田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年7月1日昭和29年宮田町・赤穂町・中沢村・伊那村が合併し、駒ヶ根市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年駒ヶ根市の一部(宮田)が分かれ、宮田村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。