今の上松町
長野県の南西部、木曽郡にある町です。東に中央アルプスの木曽駒ヶ岳がそびえ、町の中央を木曽川が流れます。江戸時代は中山道の上松宿で、尾張藩の材木奉行所が置かれ、木曽ヒノキの切り出しの拠点でした。今も木材・木工が主な産業です。寝覚の床や木曽の桟など、木曽八景のうち5つが町内にあります。
今の上松町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,131人です。今の区域で数えた1980年の7,654人とくらべると46.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.4%です。
主な産業:木曽ひのきの木材・木工と林業、自動車部品の製造
特産品・名産
- 木曽ひのきの木工品木曽ひのきを使った家具や器
- 朴葉寿司朴の葉で包む木曽の郷土の味
- えごま油などに加工される
見どころ・祭り
- 寝覚の床木曽川の花崗岩の景勝地
- 木曽の桟木曽川沿いの難所の跡
- 赤沢自然休養林木曽ひのきの森
- 上松宿中山道の宿場
- 小野の滝木曽八景の一つ
木木曽ひのき花オオヤマレンゲ・ササユリ鳥コマドリ上松町の木・花・鳥
上松町のなりたち
上松町(あげまつまち)は、長野県中信地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに駒ヶ根村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は西筑摩郡に属していました。
「上松町」という名前
上松町の名前は、中山道の宿場だった上松宿と上松村の名から来ています。1889年(明治22年)の町村制で上松村・小川村・荻原村がまとまったときには、木曽駒ヶ岳にちなむ「駒ヶ根村」という名前でした。1922年(大正11年)9月1日に町制を施行したとき、宿場の名をとって上松町に改めました。「上松」という地名の由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
江戸時代、今の上松町には中山道の上松宿が置かれていました。1664年(寛文4年)には、木曽の山林を治めた尾張藩が林政の改革を行い、上松に木曾材木奉行所を置きました。それ以来、上松は木曽ヒノキを切り出して運ぶ拠点となりました。
明治に入ると、1874年(明治7年)に上松村と荻原村がまとまって駒ヶ根村ができ、1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、小川村・上松村・荻原村の区域で改めて駒ヶ根村が発足しました。1922年(大正11年)9月1日には町制を施行し、名前を上松町に改めています。1968年(昭和43年)5月1日には、西筑摩郡が名前を改めて木曽郡となりました。
上松駅のそばにはかつて森林鉄道の集積地があり、町は木材と木工の町として栄えました。木材の町であるがゆえに大きな火事にたびたび見舞われ、1950年(昭和25年)5月13日の大火でも大きな被害が出ています。今は自動車部品の工場も町の主な産業の一つです。
町の東には中央アルプスの木曽駒ヶ岳がそびえ、中央を木曽川が流れます。寝覚の床や木曽の桟など、木曽八景のうち5つが町内にあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西筑摩郡の小川村・上松村・荻原村の区域で駒ヶ根村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1922年9月1日大正11年駒ヶ根村が町制を施行し、改称して上松町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1968年5月1日昭和43年西筑摩郡が改称して木曽郡となり、上松町は木曽郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。