今の飯島町
長野県の上伊那郡の南部、伊那谷にある町です。中央アルプスのふもとから天竜川にかけての段丘に田畑と集落が広がります。江戸時代は飯島陣屋と三州街道の飯島宿が置かれ、明治のはじめには伊那県の役所もありました。寒暖の差を生かして梨などの果物や酒米が作られ、秋にはコスモスの畑が広がります。
今の飯島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,004人です。今の区域で数えた1980年の10,515人とくらべると14.4%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.0%です。
主な産業:梨などの果物や米・酒米の農業と、食品などの工業
特産品・名産
- 梨寒暖差で甘みの強い果物
- 美山錦町で作られる酒米
- さくら丼馬肉を使った郷土の料理
見どころ・祭り
- 飯島陣屋江戸時代の代官所を復元
- 千人塚公園城ヶ池のある公園
- 与田切公園キャンプ場のある公園
- 聖徳寺町内の寺院
飯島町のなりたち
飯島町(いいじままち)は、長野県南信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。七久保村・飯島村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の飯島町になりました。
今の名前「飯島町」は、1920年にあった飯島村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は上伊那郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧七久保村の区域には七久保駅(飯田線)があります。
「飯島町」という名前
飯島町の名前は、1889年(明治22年)の町村制で飯島村・田切村・本郷村がまとまってできた飯島村の名を受け継いでいます。この地は鎌倉時代から飯島氏が治めた土地とされ、江戸時代には三州街道の飯島宿が置かれていました。「飯島」という地名の由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
江戸時代の飯島には、幕府の領地を治める飯島陣屋と、三州街道の飯島宿が置かれていました。明治のはじめには伊那県の役所がここに置かれ、1871年(明治4年)まで伊那谷の政治の中心でした。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、飯島村・田切村・本郷村がまとまって飯島村が生まれ、南の七久保村は単独で村となりました。1949年(昭和24年)4月1日には、天竜川の東にあった南向村の日曽利が飯島村に加わりました。1953年(昭和28年)2月1日には七久保村の一部が隣の上片桐村に移っています。
飯島村は1954年(昭和29年)1月1日に町制を施行して飯島町となりました。そして1956年(昭和31年)9月30日、飯島町と七久保村が合併して、改めて飯島町が発足しました。それ以来、町の区域は大きく変わっていません。
町は伊那谷の南部、中央アルプスのふもとから天竜川にかけての段丘に広がります。寒暖の差を生かして梨などの果物や酒米の美山錦が作られ、秋にはコスモスの畑が広がります。千人塚公園や与田切公園などの公園があり、飯島陣屋は復元されて公開されています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上伊那郡の飯島村・田切村・本郷村の区域で飯島村が発足し、七久保村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1949年4月1日昭和24年南向村の一部(大草のうち日曽利)が飯島村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1953年2月1日昭和28年七久保村の一部(字三林・字袴ヶ腰・字烏帽子ヶ丘の各一部)が上片桐村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1954年1月1日昭和29年飯島村が町制を施行し、飯島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年飯島町と七久保村が合併し、改めて飯島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。