今の中川村
長野県の上伊那郡の南の端にある村です。天竜川をはさんで、東の南向地区と西の片桐地区に分かれています。河岸段丘の上に田畑や果樹園が広がり、りんごや梨、梅などの果物づくりが盛んです。東の陣馬形山からは中央アルプスと南アルプスを見渡せます。「日本で最も美しい村」連合に加わっています。村の多くの集落は河岸段丘の上にあります。
今の中川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,651人です。今の区域で数えた1980年の5,524人とくらべると15.8%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.1%です。
主な産業:りんご・梨・梅などの果物づくりを中心とした農業
特産品・名産
- りんご河岸段丘の果樹園で作られる
- 梨村の主な果物の一つ
- ハチミツ村の名産
見どころ・祭り
- 陣馬形山二つのアルプスを望む山
- 坂戸橋国の重要文化財の橋
- 大草城址公園大草城の跡の公園
- 小渋湖小渋ダムのダム湖
- アンフォルメル中川村美術館村の美術館
木ひのき花うちょうらん中川村の木・花
中川村のなりたち
中川村(なかがわむら)は、長野県南信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。片桐村・南向村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の中川村になりました。
今の名前「中川村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は上伊那郡に属していました。
「中川村」という名前
中川村の名前は、1958年(昭和33年)に天竜川の東の南向村と、西の片桐村が合併したときに、村民から募って決められました。村の真ん中を流れる天竜川を中心に、二つの地区が力を合わせる新しい村にという思いが込められています。村章は「中」の字を図案にしたもので、1959年(昭和34年)3月2日に定められました。
「天竜川を中心に結束する新しい村として村民から募集して定められた。」── 中川村「中川村の概要」
まちの成り立ち
今の中川村は、天竜川をはさんで東の南向地区と西の片桐地区に分かれています。南向村は大草村・葛島村・四徳村がまとまってできた村で、明治18年に一つの戸長役場のもとに置かれ、1889年(明治22年)4月1日の町村制で南向村となりました。片桐の地は、平安時代の終わりごろに片桐氏が船山城を築いて治めたと伝えられ、明治のはじめは片桐郷七か村と呼ばれていました。その後、田島・前沢・小平の3か村が片桐村となり、町村制でもそのまま片桐村となりました。
1949年(昭和24年)4月1日には、南向村の最も北にあった日曽利が飯島村に移りました。1958年(昭和33年)3月31日に両村は合併の調印を済ませ、同じ年の8月1日に南向村と片桐村が合併して中川村が発足しました。それ以来、村の区域は変わっていません。
村は河岸段丘の上に田畑や果樹園が広がり、りんごや梨、梅などの果物づくりが盛んです。天竜川の東は伊那山地が南北に走り、陣馬形山からは中央アルプスと南アルプスを見渡せます。1961年(昭和36年)の三六災害では村も大きな被害を受けました。村は「日本で最も美しい村」連合に加わっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上伊那郡に大草村・葛島村・四徳村の区域で南向村が発足し、片桐村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1949年4月1日昭和24年南向村の一部(日曽利)が飯島村に編入された。種類:一部編入 出典:www.vill.nakagawa.nagano.jp
- 1958年8月1日昭和33年南向村と片桐村が合併し、中川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.vill.nakagawa.nagano.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。