今の高森町
長野県の南部、下伊那郡にあり、伊那谷の天竜川の西岸に広がる段丘の町です。西に本高森山、東に南アルプスの3,000メートル級の山々を望みます。干し柿の市田柿の発祥の町で、段丘の上ではりんごや梨も作られています。瑠璃寺の桜など、町の各地に桜の古木が見られます。町名は西にそびえる本高森山に由来し、1957年に市田村と山吹村が合併して生まれました。
今の高森町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,811人です。今の区域で数えた1980年の11,488人とくらべると11.5%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.7%です。
主な産業:市田柿・りんご・梨などの農業と、製造業
特産品・名産
- 市田柿高森町が発祥の干し柿
- りんご段丘の上で作られる
- 梨段丘の上で作られる
見どころ・祭り
- 瑠璃寺源頼朝が寄進したと伝わる桜
- 竹ノ内家住宅国の重要文化財の民家
- 本高森山町名の由来の山
- 市田灯篭流し花火大会天竜川で行われる夏の行事
高森町のなりたち
高森町(たかもりまち)は、長野県南信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。山吹村・市田村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の高森町になりました。
今の名前「高森町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の市田村が約30km²だったのに対し、今の高森町は約45km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下伊那郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧山吹村の区域には山吹駅(飯田線)があります。旧市田村の区域には市田駅(飯田線)があります。
「高森町」という名前
高森町の名前は、町の西にそびえる本高森山に由来します。1957年(昭和32年)7月1日に市田村と山吹村が合併したとき、二つの村を山頂で結ぶ山として、この山の名が新しい町の名前に選ばれました。本高森山は標高1,889メートルで、中央アルプスに続く山です。
まちの成り立ち
1875年(明治8年)、山吹にあった5か村と、大島村の前身となった3か村が合わさって里見村が生まれましたが、1881年(明治14年)に分かれて山吹村となりました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、下市田・上市田・吉田・出原・大島山・牛牧の6か村が合わさって市田村が生まれ、山吹村はそのまま村となりました。
1957年(昭和32年)7月1日、市田村と山吹村が合併して高森町が発足しました。1959年(昭和34年)8月1日には、山吹のうち増野などの一部が隣の松川町に移っています。それ以来、町の区域は大きく変わっていません。1961年(昭和36年)6月の三六災害では、町も大きな被害を受けました。
町は伊那谷の南部、天竜川の西岸に広がる段丘の町で、東には南アルプスの3,000メートル級の山々を望みます。干し柿の市田柿は高森町が発祥で、天竜川の朝霧と冬の長い日照を生かして作られています。段丘の上ではりんごや梨も作られます。瑠璃寺には源頼朝が寄進したと伝わる桜があり、町の各地に桜の古木が見られます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下伊那郡に上市田村・下市田村・吉田村・牛牧村・出原村・大島山村の区域で市田村が発足し、山吹村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1957年7月1日昭和32年山吹村と市田村が合併し、高森町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.nagano-takamori.lg.jp
- 1959年8月1日昭和34年高森町の一部(山吹のうち旧竜口村の郷頭・原城と増野の一部)が松川町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。