今の豊丘村
長野県の南部、下伊那郡にある村です。伊那谷の天竜川の東岸にあり、伊那山脈の最高峰の鬼面山から天竜川に向かって段丘が広がります。村の多くは森林で、段丘の中ほどと上には果樹園や野菜畑、下には水田と集落が並びます。松茸や市田柿、りんごが特産で、虻川の渓谷には滝や大きな甌穴があります。村は1955年に神稲村と河野村が合併して生まれました。
今の豊丘村の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,426人です。今の区域で数えた1980年の7,409人とくらべると13.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.9%です。
主な産業:果樹・野菜・米の農業と、松茸などの山の恵み
特産品・名産
- 松茸村の山でとれる
- 市田柿南信州の干し柿
- 源助かぶ菜村の伝統の漬け菜
見どころ・祭り
- 鬼面山伊那山脈の最高峰
- 壬生沢不動滝落差15メートルの滝
- 新九郎の滝虻川の上流の滝
- 巨大ポットホール虻川渓谷の大きな甌穴
- 笹見平のしだれ桜古いしだれ桜
豊丘村のなりたち
豊丘村(とよおかむら)は、長野県南信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。河野村・神稲村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の豊丘村になりました。
今の名前「豊丘村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は下伊那郡に属していました。
「豊丘村」という名前
豊丘村は、1955年(昭和30年)4月1日に神稲村と河野村が合併して生まれた村です。新しい村には、どちらの村の名前でもない「豊丘」という名前が付けられました。この名前の由来や、選ばれたいきさつははっきりしていません。村章は合併20周年の1975年(昭和50年)に定められました。
まちの成り立ち
豊丘村の地域には旧石器時代から人が住み、縄文時代の土器や土偶、古墳時代の須恵器などが見つかっています。中世には知久氏が治めました。明治のはじめには、虻川の北は伊那県、南は名古屋県に属していましたが、1871年(明治4年)にどちらも筑摩県に組み入れられました。
1875年(明治8年)1月23日、林村・田村村・供野村が合併して神稲村が、河野村・部奈村・福与村などが合併して生田村が生まれました。生田村は1881年(明治14年)に一部が分かれ、残った部分が河野村となりました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、神稲村と河野村はそれぞれそのまま村となりました。
1955年(昭和30年)4月1日、神稲村と河野村が合併して豊丘村が発足しました。それ以来、村の区域は変わっていません。1961年(昭和36年)6月の三六災害では、村内でも死者や多くの家屋の被害が出ました。
村は伊那谷の南部、天竜川の東岸にあり、伊那山脈の鬼面山から天竜川に向かって段丘が西向きに広がります。段丘の中ほどと上には果樹園や野菜畑、下には水田と集落が並びます。松茸や市田柿、りんごなどが村の特産です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下伊那郡に神稲村・河野村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年神稲村と河野村が合併し、豊丘村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。