長野県 › 喬木村

喬木村たかぎむら

喬木村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の喬木村

長野県の下伊那郡にあり、天竜川の東岸の河岸段丘に開けた村です。阿島・加々須・大島など8つの地区からなり、飯田市や高森町、豊丘村と接します。県内有数のいちごの産地で、いちご狩りなど四季を通じた果物狩りが楽しめます。阿島の大藤やくりん草園などの花の名所があり、伝統の和傘の阿島傘も知られています。

今の喬木村の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,973人です。今の区域で数えた1980年の7,224人とくらべると17.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.6%です。

5,973人人口(2020年)
−17.3%1980年からの増減
66.61km²面積(国土地理院)
90人/km²人口密度
35.6%65歳以上の割合
7,3041980199020052020
15歳未満 13.4%15〜64歳 51.0%65歳以上 35.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:いちごなどの果物づくりを中心とした農業と、果物狩りの観光

特産品・名産

  • いちご県内有数の産地。いちご狩りができる
  • 阿島傘阿島で作られてきた和傘

見どころ・祭り

  • 阿島の大藤春に咲く大きな藤
  • くりん草園クリンソウの花の名所
  • 阿島陣屋跡旗本知久氏の陣屋の跡
  • 阿島傘伝承館阿島傘を伝える施設
  • 椋鳩十記念図書館児童文学者にちなむ図書館

喬木村のなりたち

喬木村(たかぎむら)は、長野県南信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに喬木村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は下伊那郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
67km²今の面積

「喬木村」という名前

喬木村は、1875年(明治8年)1月23日に、富田村・加々須村・阿島村・小川村・伊久間村の5か村が合併して生まれた村です。「喬木」は高くそびえる木を表すことばで、合わさった村々の名前とは別の、新しい名前が付けられました。この名前が選ばれたいきさつははっきりしていません。

まちの成り立ち

1875年(明治8年)1月23日、筑摩県伊那郡の富田村・加々須村・阿島村・小川村・伊久間村の5か村が合併して喬木村が生まれました。1876年(明治9年)に筑摩県がなくなって長野県に属し、1879年(明治12年)には下伊那郡に入りました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行では、喬木村の区域がそのまま喬木村となり、それ以来、村の区域は変わっていません。

村は天竜川の東岸にあり、河岸段丘の上に集落と畑が広がります。東は伊那山地に続く山で、谷あいの氏乗や大和知にも集落があります。今の村は阿島・加々須・大島・氏乗・大和知・富田・小川・伊久間の8つの地区からなり、住所には大字を付けず番地だけで表します。

江戸時代の阿島には旗本知久氏の陣屋が置かれ、その跡が今も残っています。阿島で作られた和傘の阿島傘は、村の伝統の品として受け継がれてきました。今の村は県内でも有数のいちごの産地で、いちご狩りなどの果物狩りが楽しめます。春には阿島の大藤やしだれ桜、くりん草園の花が見ごろを迎えます。村には児童文学者の椋鳩十の名を冠した記念図書館もあります。

年表

  1. 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、喬木村は下伊那郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下伊那郡喬木村の区域をもって喬木村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

喬木村1889〜今

参考にした資料