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松川村まつかわむら

松川村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の松川村

長野県北西部、安曇野の北部にある村です。北アルプスの東のふもとに広がり、西には安曇富士とも呼ばれる有明山がそびえます。高瀬川や乳川などが流れ、山すそには扇状地が広がります。日中と朝晩の温度差を生かした米とりんごの生産が盛んです。安曇野ちひろ公園や国営アルプスあづみの公園があり、スズムシの里としても知られます。

今の松川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,599人です。今の区域で数えた1980年の7,496人とくらべると28.1%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.6%です。

9,599人人口(2020年)
+28.1%1980年からの増減
47.07km²面積(国土地理院)
204人/km²人口密度
34.6%65歳以上の割合
10,0931980199020052020
15歳未満 11.2%15〜64歳 54.3%65歳以上 34.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:米・りんごを中心とする農業と観光

特産品・名産

  • 鈴ひかり松川村の特産米
  • りんご身がしまり味の濃い村のりんご

見どころ・祭り

  • 安曇野ちひろ公園安曇野ちひろ美術館のある公園
  • 観松院弥勒菩薩半跏思惟像(重要文化財)
  • 国営アルプスあづみの公園大町・松川地区の国営公園
  • すずむし荘村内の主な施設の一つ
  • 馬羅尾高原村の西部の高原

松川村のなりたち

松川村(まつかわむら)は、長野県中信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに松川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は北安曇郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
47km²今の面積

「松川村」という名前

村の名は、明治の初めに5つの村がまとまったとき、その一つの松川村の名をとったものです。1874年(明治7年)10月、鼠穴村・細野村・神戸新田村・松川村・板取村が合わさって新しい松川村が生まれました。1889年(明治22年)の町村制でもこの村がそのまま続き、今の松川村につながっています。「松川」という地名の語源ははっきりしていません。

まちの成り立ち

松川村は、1874年(明治7年)10月に筑摩県安曇郡の5つの村が合わさって生まれました。1876年(明治9年)に長野県に属し、1879年(明治12年)には郡区町村編制法により北安曇郡の村となりました。1889年(明治22年)4月1日の町村制でもそのまま村となり、役場は細野に置かれました。それから今まで、ほかの町村と合併せずに続いています。

村は安曇野の北部にあり、大町市と安曇野市の間に位置します。北アルプスの東のふもとに広がり、西にそびえる有明山は安曇富士とも呼ばれます。高瀬川や乳川などが流れ、山すそには扇状地が広がります。日中と朝晩の温度差が大きく、米とりんごの生産が盛んです。村の特産米は「鈴ひかり」と名づけられています。

村には安曇野ちひろ美術館のある安曇野ちひろ公園があり、国営アルプスあづみの公園の大町・松川地区も広がります。観松院には、長野県で最も古いとされる弥勒菩薩半跏思惟像(重要文化財)が伝わっています。スズムシの里としても知られ、2010年(平成22年)にはスズムシの捕獲を原則として禁じる条例を定めました。

年表

  1. 1874年10月明治7年筑摩県安曇郡の鼠穴村・細野村・神戸新田村・松川村・板取村が合併し、松川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
  2. 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、松川村は北安曇郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北安曇郡松川村がそのまま村となった。種類:町村制 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

松川村1889〜今

参考にした資料