今の小川村
長野県の北部、上水内郡にある村です。長野市と白馬村のほぼ中間にあり、北アルプスを望む標高500メートルから1,000メートルの山あいに集落が点在します。土尻川が村を流れ、面積の多くを森林が占めます。郷土食のおやきが名物で、山里の景観を守る「日本で最も美しい村」連合に加わっています。
今の小川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,215人です。今の区域で数えた1980年の5,132人とくらべると56.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.9%です。
主な産業:農業と、おやきなどの郷土食づくり、山里の観光
特産品・名産
- おやき村の代表的な郷土食
- 縄文おやき囲炉裏で焼く小川の庄のおやき
見どころ・祭り
- 大洞高原小川天文台とプラネタリウム館がある
- 小川アルプスライン北アルプスを望む県道
- 高山寺三重塔が県宝の寺
- 古山城跡大日方氏の城の跡
- 小川の庄 縄文おやき村おやきを焼く施設
小川村のなりたち
小川村(おがわむら)は、長野県北信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。北小川村・南小川村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の小川村になりました。
今の名前「小川村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の北小川村が約38km²だったのに対し、今の小川村は約58km²と、およそ1.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上水内郡に属していました。
「小川村」という名前
小川村は、1955年(昭和30年)4月1日に北小川村と南小川村が合併して生まれた村です。二つの村に共通する「小川」が新しい村の名前になりました。このあたりは中世に「小川の庄」と呼ばれた皇室の荘園で、古くから小川の名で呼ばれてきた土地です。「小川」という地名そのものの由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
中世、今の小川村の地は、戸隠の顕光寺が鳥羽院に寄進して「小川の庄」と呼ばれる皇室の荘園になりました。南北朝時代の終わりの1392年には、三河から来た小川貞綱がこの地に住みつき、古山城を築いたと伝えられます。古山城はのちに大日方氏の城となり、小川の地は長く大日方氏が治めました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、瀬戸川村と稲丘村がまとまって北小川村が、高府村と小根山村がまとまって南小川村が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日、北小川村と南小川村が合併して小川村が発足しました。それ以来、村の区域は変わっていません。2014年(平成26年)11月の長野県神城断層地震では、村内でも家屋に大きな被害が出ました。
村は長野市と白馬村のほぼ中間にあり、北アルプスを望む標高500メートルから1,000メートルの山あいに集落が点在します。犀川の支流の土尻川が村を流れ、面積の多くを森林が占めています。郷土食のおやきは村の名物で、村内の店ごとに違う味が楽しめます。村は「日本で最も美しい村」連合に加わり、山里の景観を守っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上水内郡に瀬戸川村・稲丘村の区域で北小川村が、高府村・小根山村の区域で南小川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年南小川村と北小川村が合併し、小川村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。