今の小谷村
長野県の北西の端、北安曇郡にある村で、新潟県と富山県に接します。村の中央を姫川が北へ流れ、東西に高い山々がそびえます。面積の多くを森林が占め、集落は姫川とその支流沿いに点在します。雪の多い土地で、栂池高原などのスキー場や小谷温泉があります。越後と信濃を結んだ千国街道(塩の道)が通ります。
今の小谷村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,647人です。今の区域で数えた1980年の5,165人とくらべると48.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.3%です。
主な産業:スキー場や温泉の観光と、山あいの農業
特産品・名産
- 小谷そば村で作るそば
- 雪中キャベツ雪の下で甘みを増したキャベツ
- 小谷野豚野山に放して育てる豚
見どころ・祭り
- 千国街道(塩の道)越後と信濃を結んだ街道
- 牛方宿塩の道の牛方が泊まった宿
- 千国の庄史料館千国番所を復元した史料館
- 栂池高原スキー場と栂池自然園
- 小谷温泉雨飾山のふもとの温泉
花大山ざくら小谷村の花
小谷村のなりたち
小谷村(おたりむら)は、長野県中信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。北小谷村・中土村・南小谷村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の小谷村になりました。
今の名前「小谷村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の南小谷村が約103km²だったのに対し、今の小谷村は約270km²と、およそ2.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北安曇郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧北小谷村の区域には北小谷駅(大糸線)があります。旧中土村の区域には中土駅(大糸線)があります。旧南小谷村の区域には南小谷駅(大糸線)があります。
「小谷村」という名前
「おたり」という地名は、1190年(建久元年)12月の六条院の書状に「於地理」と書かれたのが最初とされます。語源は、麻の産地だったことから「麻垂」から生じたともいわれますが、はっきりしていません。「小谷」の字が使われるようになったのは鎌倉時代の中ごろからです。1958年(昭和33年)に3か村が合併したとき、この名が村の名前になりました。
「「小谷」と書かれるようになったのは鎌倉時代の中期からのことです。」── 小谷村「小谷村について」
まちの成り立ち
小谷には縄文時代から人が住んでいました。平安時代の終わりごろには「千国庄」と呼ばれる六条院の領地で、戦国時代には仁科氏が治めました。江戸時代は松本藩に属し、小谷五人衆と呼ばれる庄屋たちがこの地をまとめました。越後と信濃を結ぶ千国街道(塩の道)が村を通り、塩や海産物が運ばれました。
明治に入ると松本県、筑摩県を経て長野県に属しました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、千国村と中小谷村がまとまって南小谷村となり、中土村・北小谷村と合わせて「小谷3カ村」と呼ばれました。1911年(明治44年)には浦川上流の稗田山が大きく崩れ、下流に大きな被害が出ました。
1958年(昭和33年)4月1日、南小谷村・中土村・北小谷村が合併して小谷村が発足しました。それ以来、村の区域は変わっていません。
村は長野県の北西の端にあり、新潟県・富山県と接しています。村の中央を姫川が北へ流れ、姫川とその支流沿いに53の集落が点在します。村の面積の88パーセントを森林が占め、雪の多い土地で、栂池高原などのスキー場や小谷温泉があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北安曇郡に千国村・中小谷村の区域で南小谷村が発足し、中土村・北小谷村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:www.vill.otari.nagano.jp
- 1958年4月1日昭和33年南小谷村・中土村・北小谷村が合併し、小谷村が発足した。種類:新設合併 出典:www.vill.otari.nagano.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。