今の阿智村
長野県の南西部、下伊那郡の西部にある村です。古代には東山道が通り、美濃との境の神坂峠のふもとの園原は和歌に詠まれた土地です。1973年に湧き出した昼神温泉は南信州で最も大きな温泉地です。富士見台高原やヘブンスそのはら、治部坂高原などに一年を通じて観光客が訪れ、梨やりんごなどの農産物も作られています。
今の阿智村の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,068人です。今の区域で数えた1980年の7,818人とくらべると22.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.2%です。
主な産業:昼神温泉や高原の観光と、梨・りんご・野菜などの農業
特産品・名産
- 赤梨村の特産の梨
- 五平餅串に刺して焼く郷土の餅
- 干し柿村の特産品
見どころ・祭り
- 昼神温泉郷1973年に湧き出した温泉
- 園原の里「信濃の国」にも歌われた里
- 富士見台高原360度の眺めの高原
- ヘブンスそのはらスキー場と高原リゾート
- 満蒙開拓平和記念館開拓団の歴史を伝える施設
木栃の木・しらかば・なら花福寿草・れんげつつじ・しだれざくら鳥うぐいす阿智村の木・花・鳥
阿智村のなりたち
阿智村(あちむら)は、長野県南信地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。波合村・智里村・会地村・伍和村・清内路村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の阿智村になりました。
今の名前「阿智村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の波合村が約133km²だったのに対し、今の阿智村は約213km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下伊那郡に属していました。
「阿智村」という名前
「阿智」は、古くからこの地域一帯を指してきた名前です。平安時代のはじめにまとめられた『旧事本紀』にもこの地を「阿智」と呼ぶ記述があり、『延喜式』には東山道の駅として阿智駅が載っています。1956年(昭和31年)に会地村・伍和村・智里村の3か村が合併したとき、この「阿智」の名が新しい村の名前になりました。
「その「 阿智 」をもって昭和31年の三村合併後の新村名となりました。」── 阿智村「阿智村の概要」
まちの成り立ち
古代、阿智の地には都と東国を結ぶ東山道が通り、美濃との境の神坂峠は難所として知られました。峠のふもとの園原は、古くから和歌に詠まれた土地です。江戸時代には三州街道の駒場宿が置かれました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、今の村域には会地村・伍和村・智里村・清内路村と、平谷と一つになった波合村が生まれました。波合村は1934年(昭和9年)4月1日に分かれ、浪合の区域が浪合村になりました。清内路村は1875年(明治8年)にいったん米川村となり、分かれたりまとまったりを繰り返して、1889年に清内路村となっています。
1956年(昭和31年)9月30日、会地村・伍和村・智里村が合併して阿智村が発足しました。その後、2006年(平成18年)1月1日に浪合村を、2009年(平成21年)3月31日に清内路村を編入し、今の阿智村になりました。
1973年(昭和48年)に湧き出した昼神温泉は、南信州で最も大きな温泉地になりました。富士見台高原やヘブンスそのはら、治部坂高原などに一年を通じて観光客が訪れ、村内には満蒙開拓の歴史を伝える記念館もあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下伊那郡に駒場村・春日村の区域で会地村、波合村・平谷村の区域で波合村が発足し、伍和村・智里村・清内路村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1934年4月1日昭和9年波合村が分割され、大字浪合の区域で浪合村が、大字平谷の区域で平谷村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年会地村・智里村・伍和村が合併し、阿智村が発足した。種類:新設合併 出典:www.vill.achi.lg.jp
- 2006年1月1日平成18年浪合村が阿智村に編入された。種類:編入 出典:www.vill.achi.lg.jp
- 2009年3月31日平成21年清内路村が阿智村に編入された。種類:編入 出典:www.vill.achi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。