今の下條村
長野県の南部、下伊那郡のほぼ中央にある村です。東は天竜川をはさんで泰阜村、北は飯田市や阿智村に接します。盆地のような土地に田畑と集落が広がり、飯田市へ通勤する人も多く住んでいます。農業ではそばや梨、りんご、干し柿などが作られ、親田辛味大根も知られます。道の駅信濃路下條はそばが看板です。
今の下條村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,545人です。今の区域で数えた1980年の4,078人とくらべると13.1%減り、人口は2005年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.1%です。
主な産業:そば・梨・りんご・干し柿などの農業と、飯田市に通う人の住む住宅地
特産品・名産
- 親田辛味大根親田地区で作られる辛い大根
- そば村の主な農産物の一つ
- 干し柿村の主な農産物の一つ
見どころ・祭り
- 道の駅信濃路下條そばを看板にした道の駅
- 下條温泉郷 コスモスの湯村の温泉施設
- リフレッシュパーク下條村の公園施設
- 安倍神像神社村内の神社
下條村のなりたち
下條村(しもじょうむら)は、長野県南信地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに下条村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は下伊那郡に属していました。
「下條村」という名前
下條村の名前は、室町時代から戦国時代にかけてこの地を治めた下條氏に由来するとされます。1889年(明治22年)の町村制の施行で、睦沢村と陽皐村の区域がまとまったときに、下條村と名付けられました。村の中の郵便局などには「下条」と書くものもあります。
まちの成り立ち
今の下條村の地域では、1875年(明治8年)1月23日に二つの村が生まれました。小松原村・大久保村・粒良脇村・阿知原村・親田村・山田河内村が合わさった睦沢村と、吉岡村・菅野村・仁王関村・合原村・北又村・入野村・鎮西野村・下新井村が合わさった陽皐村です。1876年(明治9年)には筑摩県がなくなって長野県に属し、1879年(明治12年)には下伊那郡に入りました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、睦沢村と陽皐村の区域がまとまって下條村が発足しました。それ以来、ほかの市町村と合わさることはなく、同じ区域が続いています。
村は下伊那郡のほぼ中央にあり、東は天竜川をはさんで泰阜村、北は飯田市や阿智村に接しています。盆地のような土地に田畑と集落が広がり、飯田市へ通勤する人も多く住んでいます。村は若い世帯向けの村営住宅を建てるなどして、人口を保ってきました。農業ではそば、梨、りんご、干し柿などが作られ、親田地区の親田辛味大根も知られます。国道沿いの道の駅信濃路下條は、そばを看板にしています。
年表
- 1879年1月4日明治12年郡区町村編制法の施行により、睦沢村と陽皐村は下伊那郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下伊那郡の睦沢村・陽皐村の区域で下條村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。