今の南木曽町
長野県の南西部、木曽郡にあり、木曽谷の南の端に位置する町です。面積の94パーセントを森林が占め、町の中央を木曽川が流れます。中山道の妻籠宿は古い町並みが保存され、多くの人が訪れます。ひのきの美林が各地にあり、ろくろ細工やひのき笠など、木を生かした工芸が受け継がれています。町名は東にそびえる南木曽岳に由来するとされます。
今の南木曽町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,915人です。今の区域で数えた1980年の6,680人とくらべると41.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.1%です。
主な産業:林業と木工、妻籠宿などの観光
特産品・名産
- 南木曽ろくろ細工木地師が作る木の器
- ひのき笠蘭地区で作られる笠
見どころ・祭り
- 妻籠宿町並みを保存する中山道の宿場
- 桃介橋木曽川にかかる木の吊り橋
- 田立の滝町の北西部の滝
- 柿其渓谷木曽川の支流の渓谷
- 南木曽岳町名の由来の山
木ヒノキ花ミツバツツジ南木曽町の木・花
南木曽町のなりたち
南木曽町(なぎそまち)は、長野県中信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。読書村・田立村・吾妻村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の南木曽町になりました。
今の名前「南木曽町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の読書村が約110km²だったのに対し、今の南木曽町は約215km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は木曽郡・西筑摩郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧田立村の区域には田立駅(中央本線)があります。
「南木曽町」という名前
南木曽町の名前は、町の東にそびえる南木曽岳(標高1,679メートル)に由来するとされます。1961年(昭和36年)1月1日に、読書村・吾妻村・田立村の3か村が合併したとき、この山の名が新しい町の名前になりました。「南木曽」は木曽谷の南の端にあたるこの地の位置も表しています。
まちの成り立ち
1874年(明治7年)、与川村・三留野村・柿其村が合わさって読書村が生まれ、同じ年に妻籠村と蘭村が合わさって吾妻村が生まれました。読書村の名は、もとの3つの村の名から音をとって付けられたといわれます。田立村は、山口村といったん合わさって山田村となったあと、1881年(明治14年)に再び分かれました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、読書村・吾妻村・田立村はそれぞれそのまま村となりました。田立村は山口村と組合をつくって役場の仕事を共同で行い、1897年(明治30年)にこの組合を解きました。
1961年(昭和36年)1月1日、読書村・吾妻村・田立村が合併して南木曽町が発足しました。1968年(昭和43年)5月1日には、西筑摩郡が名前を改めて木曽郡となっています。
町は木曽谷の南の端にあり、面積の94パーセントを森林が占め、その7割が国有林です。町の中央を木曽川が流れ、もろい花崗岩の土地に雨が多いため、昔から土石流の「蛇抜け」に悩まされてきました。中山道の妻籠宿は古い町並みが保存され、多くの人が訪れます。ろくろ細工やひのき笠など、木を生かした工芸も受け継がれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西筑摩郡に読書村・吾妻村・田立村がそれぞれ単独で村制を施行した(田立村は山口村と組合村をつくった)。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1961年1月1日昭和36年読書村・吾妻村・田立村が合併し、南木曽町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.nagiso.nagano.jp
- 1968年5月1日昭和43年西筑摩郡が改称して木曽郡となり、南木曽町は木曽郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。