今の飯塚市
今の飯塚市の区域の人口は、2020年の国勢調査で126,364人です。今の区域で数えた1980年の135,852人とくらべると7.0%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.9%です。
飯塚市のなりたち
飯塚市(いいづかし)は、福岡県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。大分村・上穂波村・内野村・幸袋町・二瀬村・鎮西村・頴田村・庄内村・穂波村・飯塚町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の飯塚市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1932年(昭和7年)1月20日に飯塚町が市になり、飯塚市となりました(市制施行)。1932年(昭和7年)9月1日に二瀬村が町になり、二瀬町となりました(町制施行)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1955年(昭和30年)3月31日に大分村の一部が、穂波村に入りました。1955年(昭和30年)3月31日に大分村・上穂波村・内野村が合わさって、筑穂町が生まれました。1957年(昭和32年)11月3日に穂波村が町になり、穂波町となりました(町制施行)。1958年ごろに頴田村が町になり、頴田町となりました(町制施行)。1958年(昭和33年)11月1日に庄内村が町になり、庄内町となりました(町制施行)。この時期だけで5回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
その後、1963年(昭和38年)4月1日に幸袋町・二瀬町・鎮西村が合わさって、飯塚市が生まれました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2006年(平成18年)3月26日に頴田町・庄内町・穂波町・筑穂町が合わさって、飯塚市が生まれました。
今の名前「飯塚市」は、1920年にあった飯塚町の名前を受け継いでいます。ほかの9の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の飯塚町が約16km²だったのに対し、今の飯塚市は約208km²と、およそ13.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は嘉穂郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧上穂波村の区域には上穂波駅(筑豊線)があります。旧幸袋町の区域には幸袋駅(幸袋線)があります。旧二瀬村の区域には二瀬駅(幸袋線)があります。
年表
- 1932年1月20日昭和7年飯塚町が市になり、飯塚市となった(市制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1932年9月1日昭和7年二瀬村が町になり、二瀬町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年3月31日昭和30年大分村の一部が、穂波村に入った出典:wiki
- 1955年3月31日昭和30年大分村・上穂波村・内野村が合わさって、筑穂町が生まれた出典:wiki
- 1957年11月3日昭和32年穂波村が町になり、穂波町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1958年ごろ1955〜1960年のあいだ頴田村が町になり、頴田町となった(町制施行)
- 1958年11月1日昭和33年庄内村が町になり、庄内町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1963年4月1日昭和38年幸袋町・二瀬町・鎮西村が合わさって、飯塚市が生まれた出典:wiki
- 2006年3月26日平成18年頴田町・庄内町・穂波町・筑穂町が合わさって、飯塚市が生まれたe-Stat「飯塚市(40205)、筑穂町(40425)、穂波町(40426)、庄内町(40427)、頴田町(40428)が合併し、飯塚市を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。