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あきる野市あきるのし

1920年には9の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今のあきる野市になりました。

9町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今のあきる野市

秋川と平井川、秋留台地、草花丘陵や山々の風景が広がるまちです。伊奈や五日市の市、木材や炭、織物の仕事を通じて発展し、1995年に秋川市と五日市町が合わさりました。秋川渓谷や阿伎留神社、広徳寺などに自然と歴史が残ります。のらぼう菜、とうもろこし、栗の農業、醤油や日本酒などの産物が、山と川のある暮らしを伝えています。

今のあきる野市の区域の人口は、2020年の国勢調査で79,292人です。今の区域で数えた1980年の62,810人とくらべると26.2%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.2%です。

79,292人人口(2020年)
+26.2%1980年からの増減
73.47km²面積(国土地理院)
1,079人/km²人口密度
31.2%65歳以上の割合
80,9541980199020052020
15歳未満 12.1%15〜64歳 56.6%65歳以上 31.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業、醤油・日本酒などの食品製造、山川の自然を生かす観光や商業が営まれます。

特産品・名産

  • のらぼう菜地域で育てられる農産物
  • とうもろこし地域で育てられる農産物
  • 栗地域で育てられる農産物

見どころ・祭り

  • 秋川渓谷川と山の緑が広がる渓谷
  • 阿伎留神社五日市にある歴史ある神社
  • 広徳寺地域の歴史を伝える寺院

花キク木モクセイ鳥セキレイあきる野市の花・木・鳥

あきる野市のなりたち

あきる野市(あきるのし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。菅生村・草花村・瀬戸岡村・小宮村・増戸村・戸倉村・東秋留村・西秋留村・五日市町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今のあきる野市になりました。

今の名前「あきる野市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの9の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の小宮村が約20km²だったのに対し、今のあきる野市は約73km²と、およそ3.6倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は西多摩郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧東秋留村の区域には東秋留駅(五日市線)があります。旧西秋留村の区域には西秋留駅(五日市線)があります。

91920年の町村の数
5回合併・編入の回数
73km²今の面積
1995年いちばん新しい合併

「あきる野市」という名前

あきる野の名は、地域一帯の呼び名として親しまれてきた「あきる」に「野」を加えたものです。秋留郷、阿伎留神社、秋留台地などに歴史ある名が残り、緑豊かな自然と台地、新市の発展への期待を重ねて選ばれました。1995年に秋川市と五日市町が合併した際、親しみやすいひらがなを用いた新市名となりました。

まちの成り立ち

あきる野には秋川や平井川が流れ、川沿いの段丘、草花丘陵、秋留台地や山々の景観が広がります。伊奈と五日市では戦国時代の終わりごろから市が開かれ、炭などが取引されました。江戸時代には木材を秋川・多摩川に筏で流して江戸へ送り、炭や織物の仕事も地域の暮らしを支えました。

1889年の町村制施行により、東秋留村・西秋留村・増戸村・明治村・三ツ里村・小宮村などが発足し、五日市町や草花村、原小宮村、戸倉村とともに地域を構成しました。1893年に西多摩郡は東京府へ移され、1918年には明治村・三ツ里村が五日市町と合併しました。1921年には草花村・原小宮村が多西村となりました。

1955年には東秋留村・西秋留村・多西村が秋多町に、五日市町・増戸村・戸倉村・小宮村が新しい五日市町にまとまりました。1972年に秋多町は秋川市となり、1995年9月1日、秋川市と五日市町が合併してあきる野市が誕生しました。秋川渓谷や阿伎留神社、広徳寺などには水と緑、信仰の歴史が残ります。のらぼう菜、とうもろこし、栗などの農業、醤油や日本酒、おやきなどの産物にも、山と川のある土地の仕事が受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年東秋留村・西秋留村・増戸村・明治村・三ツ里村・小宮村・五日市町・草花村・原小宮村・戸倉村が町村制により地域を構成した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
  2. 1893年4月1日明治26年西多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
  3. 1918年12月1日大正7年明治村・三ツ里村と五日市町が合併した。種類:その他 出典:www.tokyo-mayors.jp
  4. 1921年4月1日大正10年草花村と原小宮村が合併し多西村が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
  5. 1955年4月1日昭和30年東秋留村・西秋留村・多西村が合併し秋多町が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
  6. 1955年4月1日昭和30年五日市町・増戸村・戸倉村・小宮村が合併し新しい五日市町が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
  7. 1972年5月5日昭和47年秋多町が市制を施行し秋川市と改称した。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
  8. 1995年9月1日平成7年秋川市と五日市町が合併しあきる野市が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

あきる野市1995〜今
五日市町1889〜1995
小宮村1889〜1955
増戸村1889〜1955
戸倉村1889〜1955
秋多町→秋川市1955〜1995
東秋留村1889〜1955同じ名前の駅:東秋留駅
西秋留村1889〜1955同じ名前の駅:西秋留駅
多西村1921〜1955
菅生村1889〜1921
草花村1889〜1921
瀬戸岡村1889〜1921

参考にした資料