今の昭島市
南を多摩川が流れ、深層地下水を使う水道水で知られるまちです。養蚕の村から航空機などの工場が立つ地域へ変わり、戦後には工場と住宅団地が増えました。拝島ねぎ、多摩川梨、シクラメンなどの農業も営まれています。拝島の寺社や公園、多摩川で見つかったクジラの化石が、地域の歴史と自然を伝え、暮らしの景観に重なります。
今の昭島市の区域の人口は、2020年の国勢調査で113,949人です。今の区域で数えた1980年の89,344人とくらべると27.5%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.6%です。
主な産業:機械などの工業、住宅地の商業・サービス業、野菜・果樹・花卉の農業が営まれます。
特産品・名産
- 拝島ねぎ江戸東京野菜に登録された伝統野菜
- 多摩川梨多摩川流域で育つ果汁豊かな梨
- シクラメン昭島で1965年から生産される花
見どころ・祭り
- 拝島のフジ拝島の歴史とともに残るフジ
- 国営昭和記念公園緑の広がる国営公園
- 昭和公園市民に親しまれる公園
花ツツジ木モクセイ昭島市の花・木
昭島市のなりたち
昭島市(あきしまし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。大神村・宮沢村・中神村・福島村・上川原村・郷地村・田中村・拝島村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の昭島市になりました。
今の名前「昭島市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の拝島村が約7km²だったのに対し、今の昭島市は約17km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中神村の区域には中神駅(青梅線)があります。旧拝島村の区域には拝島駅(八高線)があります。
「昭島市」という名前
昭島は、1954年に合併した昭和町と拝島村の二つの名前を合わせた市名です。明治の町村制施行時には九村が組合をつくり、拝島村が独立した後、残る八村は昭和村となりました。1941年に町となった昭和と拝島が再び一つの自治体にまとまり、新しい市名には、二つの地域の歩みが刻まれています。
まちの成り立ち
昭島は東京都のほぼ中央から西に位置し、南には多摩川が流れています。北西から南東へ緩やかに傾く土地には農業の歴史があり、深層地下水を使う水道水もまちの特徴です。拝島ねぎや多摩川梨、シクラメンなどが作られ、住宅地と工場のある市内に農業の営みも残っています。
1889年4月1日、神奈川県北多摩郡の大神・中神・築地・宮沢・福島・上川原・田中・郷地・拝島の九村が組合をつくりました。1893年4月1日に東京府へ移され、1902年4月1日に拝島村が組合から独立しました。1928年1月1日には残る八村が合併して昭和村となり、1941年1月1日に昭和町となりました。1954年5月1日、昭和町と拝島村が合併して昭島市が誕生しました。
明治末には製糸工場が操業し、大正期には養蚕が盛んになりました。昭和に入ると航空機を中心とした軍需工場などが建ち、戦後には工場の立地と大型団地の建設が進みました。多摩川で発見されたクジラの化石も地域の記憶を伝えます。拝島のフジや昭和記念公園、昭和公園などの場所を通して、古い地域の暮らしと工業都市への変化、水辺と緑のある土地の姿をたどることができます。
年表
- 1889年4月1日明治22年大神村・中神村・築地村・宮沢村・福島村・上川原村・田中村・郷地村・拝島村が村組合を構成した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年北多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1902年4月1日明治35年拝島村が村組合から独立した。種類:その他 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1928年1月1日昭和3年拝島村を除く八村が合併して昭和村が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1941年1月1日昭和16年昭和村が町制を施行し昭和町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1954年5月1日昭和29年昭和町と拝島村が合併し昭島市が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。