今の福生市
多摩川と玉川上水、川沿いの桜並木や公園の緑を持つまちです。福生村と熊川村から町、市へと歩み、寺社や古民家に地域の歴史が残ります。酒造やハム製造が営まれ、嘉泉、多満自慢、大多摩ハムなどが地域の産物となっています。国道16号沿いの商店街と水辺や緑の景観が共存し、古い村の記憶と多様な仕事が暮らしに重なっています。
今の福生市の区域の人口は、2020年の国勢調査で56,414人です。今の区域で数えた1980年の48,694人とくらべると15.9%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.2%です。
主な産業:酒造・ハムなどの食品製造と、商業・サービス業が営まれます。
特産品・名産
- 嘉泉田村酒造場の日本酒
- 多満自慢石川酒造の日本酒
- 大多摩ハム福生で作られるハム・ソーセージ
見どころ・祭り
- 玉川上水江戸へ水を送った歴史ある水路
- 清岩院福生の歴史を伝える寺院
- 熊川神社熊川の地域の信仰を伝える神社
花ツツジ木モクセイ鳥シジュウカラ福生市の花・木・鳥
福生市のなりたち
福生市(ふっさし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。熊川村・福生村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の福生市になりました。
今の名前「福生市」は、1920年にあった福生村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の福生村が約6km²だったのに対し、今の福生市は約10km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西多摩郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧熊川村の区域には熊川駅(五日市線)があります。
「福生市」という名前
福生市は、1940年に福生村と熊川村が合併して生まれた福生町の名を受け継いでいます。1889年には二村が村組合をつくり、1970年には町から市へと移りました。福生という地名の語源の由来ははっきりしていません。古くからの村の名は、市域の歴史を伝える名前として、熊川の地名とともに受け継がれています。
まちの成り立ち
福生には多摩川と玉川上水があり、水辺の桜並木や文化の森などが身近な景観をつくっています。清岩院や熊川神社、神明社などの寺社、古民家には地域の暮らしと信仰の歴史が残ります。柳山公園やみずくらいど公園など、緑にふれる場所もまちの中にあります。
1889年4月1日、神奈川県西多摩郡の福生村と熊川村が村組合を構成しました。1893年4月1日には西多摩郡が東京府へ移されました。1940年11月10日に二村が合併し、福生町が発足しました。1970年7月1日、福生町は市制を施行して福生市となりました。二つの村を土台に、町、市へと歩んできた地域です。
福生では酒造やハムの製造が地域の仕事として営まれています。田村酒造場の嘉泉、石川酒造の多満自慢、大多摩ハムなどの産物があり、酒蔵や食に結び付く場所もまちの特色となっています。国道16号沿いには商店街があり、川沿いの緑や寺社の景観とともに多様な暮らしの場が重なります。古い村の地名と水路、寺社や古民家の歴史に、ものづくりや商業の営みが加わってきました。川と用水のある土地の姿は、都市となった福生の中にも受け継がれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年神奈川県西多摩郡の福生村・熊川村が村組合を構成した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年西多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1940年11月10日昭和15年福生村と熊川村が合併し福生町が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1970年7月1日昭和45年福生町が市制を施行し福生市となった。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。