今の青梅市
多摩川が市内を流れ、御岳山や青梅丘陵、霞丘陵の山と緑が広がるまちです。青梅宿の市街地から御岳渓谷の水辺まで、多様な景観が続きます。武蔵御嶽神社や塩船観音寺、吉川英治や川合玉堂に関わる場所には、信仰と文化の歴史が残ります。酒造やタオル製造も営まれ、梅の加工品や菓子とともに地域の土産を形づくっています。
今の青梅市の区域の人口は、2020年の国勢調査で133,535人です。今の区域で数えた1980年の98,990人とくらべると34.9%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.0%です。
主な産業:酒造、タオル製造などの工業や商業、森林・山川を生かす観光が営まれます。
特産品・名産
- ホットマンのタオル青梅で製造される純国産のタオル
- へそまんじゅう観光協会が紹介する郷土のまんじゅう
- 梅干し吉野梅郷の店で紹介される梅加工品
見どころ・祭り
- 御岳渓谷多摩川の流れと山の緑が続く渓谷
- 塩船観音寺地域の信仰を伝える寺院
- 武蔵御嶽神社御岳山にある神社
花ウメ木スギ鳥ウグイス青梅市の花・木・鳥
青梅市のなりたち
青梅市(おうめし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。霞村・調布村・成木村・小曾木村・三田村・吉野村・青梅町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の青梅市になりました。
今の名前「青梅市」は、1920年にあった青梅町の名前を受け継いでいます。ほかの6の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の青梅町が約4km²だったのに対し、今の青梅市は約103km²と、およそ28.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西多摩郡に属していました。
「青梅市」という名前
青梅の名には、平将門が金剛寺に植えた梅の実が秋にも青いままだったという伝説があります。地名に結び付く梅の木の物語は地域に伝わってきました。1889年に青梅町が発足し、1951年に霞村・調布村と合併して青梅市となりました。1955年には周辺の四村が加わり、市域は山間部まで広がりました。
まちの成り立ち
青梅には多摩川が流れ、御岳山や青梅丘陵、霞丘陵などの山々と丘陵が連なっています。御岳渓谷の水辺や高水山の山道は、都市に近い山間の風景を見せています。杉や檜の森林を抱え、木材に関わる仕事と、人々が行き交う青梅宿の歴史が重なる土地です。
1889年4月1日に神奈川県西多摩郡青梅町が発足しました。このとき、のちに市域となる地域には霞村・調布村・吉野村・三田村・小曾木村・成木村も成立しました。1893年4月1日に西多摩郡が東京府へ移され、1951年4月1日に青梅町・霞村・調布村が合併して青梅市が誕生しました。1955年4月1日には吉野村・三田村・小曾木村・成木村を編入し、市域の骨格が整いました。
山と川の風景の中には武蔵御嶽神社や塩船観音寺があり、吉川英治や川合玉堂に関わる文化の場所も残ります。青梅宿の街並みには往来の歴史が感じられます。酒造やタオル製造も地域の仕事として営まれ、青梅で作られるタオル、へそまんじゅう、梅の加工品などが土産として親しまれています。市街地から渓谷、丘陵、山へと風景が移り変わり、暮らしと産業の場に自然や寺社、文学や美術が重なっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年青梅町・霞村・調布村・吉野村・三田村・小曾木村・成木村が神奈川県西多摩郡に発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年西多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1951年4月1日昭和26年青梅町・霞村・調布村が合併し青梅市が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1955年4月1日昭和30年吉野村・三田村・小曾木村・成木村を青梅市へ編入した。種類:編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。