今の奥多摩町
東京都の北西端、多摩川の上流にある山の町です。埼玉県と山梨県に接し、東京都最高峰の雲取山をはじめ山々に囲まれています。集落や青梅線は多摩川沿いの谷に連なり、日原川などの支流が山地を刻みます。西部の奥多摩湖は小河内ダムによって生まれた貯水池です。森林と清流を背景に、林業、ワサビづくり、渓谷や鍾乳洞、登山を生かした観光が営まれています。
今の奥多摩町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,750人です。今の区域で数えた1980年の9,808人とくらべると51.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.8%です。
主な産業:林業やワサビ栽培、石灰石関連の工業、山と渓谷を生かした観光が行われています。
特産品・名産
- ワサビ清流を生かして栽培される特産
- 治助イモ奥多摩で受け継がれるジャガイモ
- 奥多摩やまめ町の特産として養殖される魚
見どころ・祭り
- 奥多摩湖小河内ダムの建設で生まれた湖
- 日原鍾乳洞日原川流域にある鍾乳洞
- 鳩ノ巣渓谷多摩川沿いに岩壁が続く渓谷
- 雲取山東京都の最高峰
木スギ花ミツバツツジ鳥ヤマドリ奥多摩町の木・花・鳥
奥多摩町のなりたち
奥多摩町(おくたままち)は、東京都多摩地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。氷川村・古里村・小河内村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の奥多摩町になりました。
今の名前「奥多摩町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の氷川村が約133km²だったのに対し、今の奥多摩町は約225km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西多摩郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧氷川村の区域には氷川駅(青梅線)があります。旧古里村の区域には古里駅(青梅線)があります。
「奥多摩町」という名前
奥多摩町の名は、多摩川上流の奥多摩と呼ばれる山地・渓谷にちなみます。1955年に氷川町・古里村・小河内村が合併し、この地域を表す名を新しい町名としました。旧三町村の名とは別に、地域全体を指す名が選ばれました。氷川・古里・小河内という名は、合併後も地域や施設の名に残り、奥多摩という町名のもとでそれぞれの歩みを受け継いでいます。
まちの成り立ち
1889年の町村制施行で、現在の奥多摩町域には神奈川県西多摩郡の古里村・氷川村・小河内村が発足しました。多摩川沿いに並ぶ三村は、1893年の三多摩移管によって東京府に属するようになります。氷川村は1940年に町制を施行し、氷川町となりました。
昭和の大合併期には、三町村のまとまり方をめぐって複数の案がありました。古里村の東部では、三田村や吉野村と結び、観光の町をつくる案も出ていました。小河内村は、山梨県の小菅村・丹波山村を東京都へ移して合併する案を求めましたが、県境を越える調整は実現しませんでした。
1954年11月に古里村と氷川町の合併促進協議会が設けられ、同年12月には小河内村も加わりました。産業や交通に共通点があり、小河内ダムや日原、鳩ノ巣の観光を一体で進める考えから、三議会は合併を決議しました。1955年4月1日、三町村の合併によって奥多摩町が生まれました。
1957年には小河内ダムが完成し、上流部の暮らしや景観は大きく変わります。貯水池は奥多摩湖と呼ばれ、東京の水源と観光地になりました。今も青梅線の駅名や地域名に旧町村の名が残り、川沿いの市街地と山あいの集落を一つの町が結んでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、神奈川県西多摩郡に古里村・氷川村・小河内村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年西多摩郡古里村・氷川村・小河内村が神奈川県から東京府に移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1940年2月11日昭和15年西多摩郡氷川村が町制を施行し、氷川町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1955年4月1日昭和30年西多摩郡氷川町・古里村・小河内村が合併し、奥多摩町が生まれた。種類:新設合併 出典:tokyo-atv.gr.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。