今の調布市
多摩川と野川が流れ、国分寺崖線や佐須の里山の緑が残るまちです。甲州街道の宿場と深大寺のある地域が合わさり、都心に近い都市へ発展しました。撮影所など映画に関わる仕事が集まり、水木しげるや武者小路実篤の文化も息づきます。深大寺そばやホッピー、映画にちなむ菓子と、神代植物公園などの緑が地域の魅力を形づくっています。
今の調布市の区域の人口は、2020年の国勢調査で242,614人です。今の区域で数えた1980年の180,548人とくらべると34.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は21.7%です。
主な産業:映画・映像関連の事業、商業・サービス業、食品製造と都市農業が営まれます。
特産品・名産
- 深大寺そば深大寺周辺で親しまれるそば
- ホッピー地域で親しまれる飲料
- 魔神クッキー大魔神像の顔をモチーフにした菓子
見どころ・祭り
- 深大寺古い歴史を伝える寺院
- 神代植物公園さまざまな植物にふれる公園
- 武者小路実篤記念館作家ゆかりの記念館
花サルスベリ木クスノキ鳥メジロ調布市の花・木・鳥
調布市のなりたち
調布市(ちょうふし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。神代村・調布町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の調布市になりました。
今の名前「調布市」は、1920年にあった調布町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の調布町が約12km²だったのに対し、今の調布市は約22km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
「調布市」という名前
調布の名は、古代の税である租・庸・調のうち、調として布を納めたことに由来します。武蔵の土地で作られた布にちなむ名前が、1889年に発足した調布町に受け継がれました。1955年には調布町と神代町が合併して調布市が誕生しました。甲州街道の宿場や深大寺のある土地に、古代からの名が息づいています。
まちの成り立ち
調布には多摩川と野川が流れ、国分寺崖線や佐須の里山など、水辺と台地の地形が残っています。深大寺の周辺には寺の歴史と緑の風景が重なり、神代植物公園も身近にあります。甲州街道の宿場として歩んだ地域と、寺を中心とした地域が合わさって市域を形づくりました。
1889年4月1日、神奈川県北多摩郡に調布町と神代村が発足しました。1893年4月1日に北多摩郡が東京府へ移され、1952年11月3日に神代村が町制を施行して神代町となりました。1955年4月1日、調布町と神代町の二町が合併して調布市が誕生しました。市制施行後には、都心に近い立地を背景に都市として発展しました。
市内には映画の撮影所などがあり、映画に関わる仕事が地域の特色となっています。水木しげるに関わる文化や、武者小路実篤記念館も地域の文化の層を伝えます。深大寺そば、ホッピー、映画にちなむ魔神クッキーなどには、寺のまちと産業のまちの個性が表れています。深大寺や神代植物公園、実篤ゆかりの場所をたどると、寺社や文学、映像文化が川や崖線の緑とともに都市の暮らしを形づくっていることが感じられます。
年表
- 1889年4月1日明治22年神奈川県北多摩郡に調布町と神代村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年北多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1952年11月3日昭和27年神代村が町制を施行し神代町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1955年4月1日昭和30年調布町と神代町が合併し調布市が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。