今の瑞穂町
東京都の西部、狭山丘陵の西端にある町です。箱根ケ崎を中心に青梅街道と日光街道が交わり、古くから交通の要地となってきました。丘陵には狭山池や六道山公園があり、周囲に住宅地、畑、工場が広がります。南側には横田基地が位置します。東京狭山茶やシクラメンの栽培、多摩だるまの製作が続く一方、工業と商業も町の暮らしを支えています。
今の瑞穂町の区域の人口は、2020年の国勢調査で31,765人です。今の区域で数えた1980年の22,803人とくらべると39.3%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.1%です。
主な産業:工業・商業のほか、東京狭山茶やシクラメンの栽培、だるま製作が行われています。
特産品・名産
- 東京狭山茶町内の茶畑で生産される茶
- 多摩だるま手作りで受け継がれる縁起物
- シクラメン町内で栽培される鉢花
見どころ・祭り
- 六道山公園狭山丘陵にある緑地と展望台
- 狭山池公園狭山池の周囲に整備された公園
- 瑞穂町郷土資料館けやき館町の歴史や自然を伝える資料館
木モクセイ、マツ花チャの花、ツツジ鳥ヒバリ瑞穂町の木・花・鳥
瑞穂町のなりたち
瑞穂町(みずほまち)は、東京都多摩地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。箱根ケ崎村・長岡村・石畑村・殿ケ谷村・元狭山村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の瑞穂町になりました。
今の名前「瑞穂町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の石畑村が約4km²だったのに対し、今の瑞穂町は約17km²と、およそ3.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は埼玉県入間郡・西多摩郡に属していました。
この区域には、もとは東京都ではなかった土地も含まれています。埼玉県の元狭山村がそれで、県境を越えた合併(越境合併)によって東京都に加わりました。
「瑞穂町」という名前
瑞穂町の名は、1940年に箱根ヶ崎村・石畑村・殿ヶ谷村・長岡村が合併したときに付けられました。当時の東京府知事、岡田周造が命名したものです。「瑞穂」は稲の穂が豊かに実ることを表す言葉で、日本の美称にも使われてきました。四つの旧村のうち一つを選ぶのでなく、新しい町全体の名となり、1958年に元狭山村を編入した後も引き継がれています。
まちの成り立ち
瑞穂町の中心にある箱根ヶ崎は、青梅街道と日光脇往還が交わる宿場として発展しました。周囲には石畑・殿ヶ谷の集落があり、長岡地区では江戸時代に新田が開かれました。街道の往来と農地の開拓が、今の町の基盤になっています。
1889年の町村制施行で、神奈川県西多摩郡に箱根ヶ崎村・石畑村・殿ヶ谷村・長岡村が発足しました。四村は組合をつくって行政を共同で運営し、1893年には三多摩の移管により東京府に属するようになります。1940年11月10日、四村が合併して瑞穂町が生まれました。合併前から続いた共同運営が、一つの町にまとまる土台になりました。
1958年10月15日には、埼玉県入間郡元狭山村を編入しました。その前日に元狭山村の一部は埼玉県の武蔵町へ移っており、瑞穂町に加わったのは残る区域です。県境を越えた編入によって、二本木・駒形富士山などの地区が町の北部を形づくりました。戦後は横田基地に接する町として市街地や工場が広がりました。箱根ケ崎駅や長岡などの地名には、合併前の村の名が今も残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、神奈川県西多摩郡に箱根ヶ崎村・石畑村・殿ヶ谷村・長岡村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年西多摩郡の箱根ヶ崎村・石畑村・殿ヶ谷村・長岡村が神奈川県から東京府に移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1940年11月10日昭和15年西多摩郡箱根ヶ崎村・石畑村・殿ヶ谷村・長岡村が合併し、瑞穂町が生まれた。種類:新設合併 出典:tokyo-atv.gr.jp
- 1958年10月14日昭和33年埼玉県入間郡元狭山村の一部が武蔵町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1958年10月15日昭和33年埼玉県入間郡元狭山村の残る区域が東京都西多摩郡瑞穂町に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:tokyo-atv.gr.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。