今の夕張市
北海道中央部、空知総合振興局の南東にある市です。夕張山地の山あいを夕張川が流れ、石炭を掘る炭鉱とともに谷沿いに市街が開けました。平らな土地が少なく、農地は沼ノ沢・富野・滝ノ上・紅葉山などにあります。夕張メロンの産地として知られ、精密機械や食品加工の工業もあります。石炭の歴史や映画をテーマにした観光にも力を入れ、夕張岳の高山植物群落は国の天然記念物です。
今の夕張市の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,334人です。今の区域で数えた1980年の41,715人とくらべると82.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は52.2%です。
主な産業:夕張メロンを中心にした農業と、精密機械・食品加工の工業、観光が主な産業です。
特産品・名産
- 夕張メロン市を代表する農産物
- ぱんじゅう市内の菓子店で売られる焼き菓子
見どころ・祭り
- 石炭の大露頭石炭開発の始まりとなった場所
- 夕張市石炭博物館市の観光スポットのひとつ
- 夕張岳の高山植物群落国の天然記念物
- 幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば市の観光スポットのひとつ
木サクラ花ツツジ夕張市の木・花
夕張市のなりたち
夕張市(ゆうばりし)は、北海道空知地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに夕張町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は夕張郡に属していました。
「夕張市」という名前
「夕張」は、アイヌ語の「ユーパロ」(鉱泉の湧き出る所)が変わった名とされています。北方探検家の松浦武四郎が1869年に出した郡名の建議書では、夕張郡の由来を「イユウパロ」(温泉の口)と記し、読みを「ユウハリ」としました。夕張の郡名の原案者は松浦武四郎とされています。
まちの成り立ち
夕張では、1888年(明治21年)に道庁の技師が志幌加別川の上流で石炭の大露頭を見つけたことが、開発のきっかけになりました。1892年には夕張炭山で採炭が始まっています。1890年に岩見沢外4村戸長役場の管轄となり、1897年(明治30年)7月15日に登川村戸長役場が置かれました。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制を施行して登川村となり、1918年(大正7年)2月11日に夕張町と改称しました。1919年(大正8年)4月1日に一級町村制となり、1943年(昭和18年)4月1日に市制を施行して夕張市になりました。1960年ごろの最盛期には、北炭と三菱の3大鉱業所を中心に石炭産業で栄え、多くの人が暮らしました。その後は石油への転換が進み、1973年に大夕張鉱業所が閉鎖され、1990年(平成2年)に最後の炭鉱が閉山しました。今は夕張メロンを中心とする農業と精密機械工業、食品加工業、観光が市を支えています。
年表
- 1897年7月15日明治30年由仁村外3村戸長役場から分かれて、夕張郡に登川村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年登川村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1918年2月11日大正7年登川村が町となり、夕張町と改称した。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年4月1日大正8年夕張町が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1943年4月1日昭和18年夕張町が市制を施行し、夕張市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。